英軍捕虜は何を見たか【15】四章 戦争の終結

戦争の終結という局面が英軍捕虜にとって何を意味しているのか、ケリー氏は最悪の場合を想定していた。永続的な奴隷労働か、それとも全員の銃殺か。

これは真剣な話で、真実に遠からずだったと思う。最初にアメリカ軍が上陸した時に、終戦間際のその時点で、捕虜を皆殺しにする慎重な計画がすでに出来ていた、という様々な話が広まっていた。すでに計画が練られていたかどうかはともかく、これが起きるはずだったことは少しも疑ったことがない。

ケリー氏は7・28空襲直後の捕虜たちの重苦しい心境を綴っている。日本の敗北と連合軍の勝利による戦争の終結は、捕虜たちの皆殺しに直結するのだ。彼らの胸を締め付けた。

祖国が侵略されたならば日本人は、虎のように戦っただろう。彼らは、厄介な捕虜のために食糧、時間、戦闘員を無駄にしなかっただろう。

われわれ捕虜たちは気付いており、良いニュースとこれから続いて起きる避けられない事がらを調和させようとしても難しかった。話題としてひどく敬遠された。

慰めにならない回答は想像できた。だが、その時誰も原子爆弾は想像できなかった。いざという時が遠くない実感によって、7月28日の喜びは加減された。

戦争の終結が刻一刻と迫っている周囲の情勢をケリー氏は次のように描写している。捕虜たちは正真正銘の軍人であった。彼らは軍人として振る舞い、軍人として情勢を察知したのである。まず因島はどうだったのか。戦意がいちじるしく失われていた。

因島にはもう空襲がなかった。もし攻撃したら、それは努力と資源の無駄使いだったろう。

驚くべきことには、あったためしのない生産高は、過去の12カ月間は這うような状態にまで落ち、停止したと言ってもよいほどだった。

サイレンひとつ鳴れば全作業員が防空壕に入り、遠くで飛行機のエンジン音が聞こえれば全員が立ち上がり、船上にいた者たちは急いでタラップを降りた。

防御が可能だと誰も思いつかなかった。われわれには単に練習の範囲だった。これは無論、日本全体で今では、実際に起きていることだった。

8月に入り、終戦直前の周辺の情勢をケリー氏たちは身をもって感ずることになった。捕虜たちは知らされなくとも福山空襲に敏感に反応した。

終わりの二週間前に爆発音やすぐ近くの空襲の反響は、当たり前のようになった。

昼夜分かたずの爆撃は、絶え間なく巨大で大量の爆弾が落とされ、いくつかの巨大な爆発後の力が、実際の音はかすかだったが、われわれの建物をゆすった。睡眠は絶えず、驚くべき低さで飛ぶ飛行機の編隊の轟音と近くの目標への攻撃によって妨害された。

8月8日22時25分ころ、B29は福山を襲った。福山市は焦土と化し、福山城天守閣は炎上した。ケリー氏はそれを遠くに目撃した。

私は次のように日記に書いた。8月8日、空は炎で赤く輝いた。私は、広島市に焼夷弾の空襲があったと理解した。その広島とは、われわれの収容所に名付けられた地名以上のものではなかった。8月9日の爆発音は、連続した巨大な爆発でもって、そのクライマックスに達した。それらのとても多くが本当に聞こえて、海軍の爆撃が進行中で、近くに襲来していると信じたい気持にさせられた。

(青木忠)

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