英軍捕虜は何を見たか【8】第二章 初めての空襲

ケリー氏の「5月5日」の描写はつづく。

しかしながら、この3倍のV字編隊は、このような3集団の最初に過ぎないと判明した。なぜなら更に二つのV字編隊が現れ、合計81の巨大な爆撃機となったのである。恐ろしくないというなら、すぐつづいて全く同じV字編隊が後ろに現れた。

それらは、青色を背景にした幽霊のようになった。明るい白、地獄に落ちるようで無情な、編隊につぐ編隊。我々は数え始めた。9、27、81…。なおもそれらは、雲から出て来た。止められない、恐ろしいけれども壮麗な美しさの、終わりのない流れになって。

我々には取るに足りないことだが、我々は決して怖くなかった。その間、日本人は呪文に縛られたように、容易に信じられないようにして立っていた。行進を見守る顔には、致命的な死の行進、地獄に落ちるような行進を見た驚きが書かれていた。一方、近距離で本州からは、爆弾が爆発するドシンという恐ろしい音が聞こえた。

全部で160機が頭上を通過した。それらの前進に対する唯一の防御は、わずかな、弱々しい対空放射砲の攻撃だった。ひとりの日本人は、「彼らの下でマッチ捧を擦ってどれだけやれるかやってみたらよい」と、身振りや言葉で表した。

この大編隊は最終的にどこに向ったのか。もしかしたら目的地は呉市だったのかもしれない。B29百48機が5月5日の午前10時40分から同11時11分の間、呉市の広海軍工廠・第11海軍航空廠に襲いかかっている。

日立造船因島工場の真向かいになる生名島の生名国民学校の「訓育日誌」の5月5日には次のように記されている。

空襲警報 朝 七・一五
解除 八・二五
警戒 八・四八
警報 一〇・一五
空襲 一〇・二〇
解除 一一・五五
警戒 一二・〇〇
警報 一二・一一
解除 一二・五五
敵機二〇〇近く尾道上空を西進す。B24

つづいて6月23日のことである。

6月23日、我々は似ているがしかし、もっと精神を破滅させられる体験をした。多数のB24あるいはB29は、近距離で見えているにもかかわらず、巨大な一大編成で安定したコースを飛ぶのでなく、比較的低空で飛行する2、3機とともに10ないし30機の群れで作戦行動をしていた。警戒警報システムはすぐに全くの混乱状態だった。「退避」解除のたびに、別の方向から近づく新しい一群の轟音が聞こえ、その間、日本人は無分別に与えられた指示に従い、怯えたうさぎのように防空壕に出たり入ったり、一方、捕虜たちは何事も見逃すまいと、しかし、注意深く、ほとんどの者が外にいたり、洞窟入口近くなどでとどまっていた。

ついに造船所を横切って南方に飛んだ24機の編隊が転回し、相反する進路を戻ってきた。それは爆弾を投下する飛行に見えた。そして我々は、心臓をドキドキさせながら、落ちてくる爆弾がたてるヒューという音が聞こえたらすぐ、その音とともに洞窟内に身を投ずる用意をして、洞窟の入口から上空を見つめて待った。しかしエンジンの爆音だけだった。編隊も前もって決められていた、他のいくつかの攻撃目標へと飛び去った。

(青木忠)

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