ふるさとの史跡をたずねて【337】甘崎城跡(今治市上浦町甘崎4661)

甘崎城跡

甘崎城跡(今治市上浦町甘崎4661)

大三島水場

大島の能島の対岸の水場は道路の分かれ道に小さな溝と草の茂った崖があるだけで、何ら目印になるようなものはない。それに対して大三島の水場はありがたいことに「水場」というバス停まであって、土地の名称として残っている。場所は本家芋地蔵の下見吉十郎の記念碑のある向雲寺近くである。

さて、その水場の水に頼った島は、地図上では古城島と書かれ、古くから水軍の城があったことを示している。すなわち甘崎城跡である。

甘崎城跡の知見は多い。すなわち今岡通任の支配伝承、伯方島の石を使った防波堤らしき石塁、来島氏の支配、東堂高虎が今治城の支城として整備、江戸時代の見聞録など。そして現存するその石塁の残骸。

このように江戸時代になってからも建設と破壊が行われたわけであるから、どこまでを水軍の城跡と思うかは見解の分かれるところであろう。

これまで能島や見近島を水軍の城跡として見てきた流れから言えば、今の甘崎城跡はむしろ水軍の城跡ではないと言うべきかもしれない。

だから、水軍の城としての特徴としてどのようなものであったのか、現況から想像するのはあまり意味ないことで、せいぜい藤堂高虎という城作りの名手に関連した城跡であり、大潮の時に渡れる楽しい城跡であると書く程度にとどめたい。

ただ、水軍との関連でいえば、因島岡野氏の姓氏伝承の中に散見される子孫が甘崎城で活躍したというのは、話が逆であって岡野氏の先祖とされる今岡通任に関係した城であったということだと私は思っている。

写真・文 柏原林造

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