79歳老人のフーテン 2023東北の旅【11】5月11日③石巻・北上川
2023年5月11日(木)③石巻・北上川
リュックサックを置き身軽になり石巻の中心部を歩くことにする。その中心部は無計画に設けられた道路が複雑に絡み合っている街で、前の旅で道に迷うが「むべなるかな」の感である。前の旅と印象はほとんど変わっていないが、災害復旧工事はまだまだ道半ばといった印象である。そして空き地がまだぽつりぽつりある。
北上川川岸は高さ5メートル幅広い津波対策の防潮堤機能を持つこの土手が造られ、その上は市民の散歩コースになっているようで家族連れなどが目立つ。
北上川は岩手県の青森県境近くから盛岡付近を潤し、宮城野に入り一気に石巻で太平洋に注ぐ、東北地方を南北に縦断する日本有数の大河であると私は理解していたが、江戸時代以前はそうではなかった。昔北上川は宮城県に入ると大きな氾濫原を作り、そこで大きく東へ湾曲し三陸海岸に河口をもっていた。それが今の追波川・追波湾である。そこは直接東を受け風が強く、しかもリアス式海岸で平地は狭く大きな港としての適性は無かった。
そこで東北の覇者伊達政宗はその大氾濫原から石巻への北上川の大放水路を造り湿原から水をぬき大穀倉地帯とし、石巻に大きな河口港を作り上げた。すなわち政宗は新田開発と舟運路の両方を確立したのだ。越後の大河信濃川日本海に幾本かの放水路を造り湿原を美田に変えている例もある。おまけに政宗は貞山という自分の戒名を頂く阿武隈河口から石巻までの運河を掘らせている。これでは東北の東側のコメはほとんどが石巻に集荷されたであろう。そのため石巻には他藩の米蔵もたくさんあったといわれる。これでは石巻は繁栄しないわけがない。
日本では地形にもよるが鉄道が整備されまでは輸送路として河川は優先されていた。私が歩いているこの川岸の土手はいろいろな歴史の重みしみ込んだ道である。
今宵は明日の朝が早く、朝に弱い私は早く眠りにつくことにする。
(田中伸幸・因島田熊町旧田中書店)
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