ふるさとの史跡をたずねて【141】金山新開道路新設記念碑(因島田熊町因島モール)

金山新開道路新設記念碑(因島田熊町因島モール)

金山新開道路新設記念碑が、因島モールの駐車場の北側入口から入ってすぐのところにある。元は道路沿いにあったものが道路拡張で何度か移設されたものであろう。見通しもよく、安住の地を得た感じである。多くの道標や石碑が失われていく中で、このような形で保存されることは、意義のあることだと思う。もちろん元あった所の面影は、うかがうべくも無いが、その道路そのものも大きく変貌しているのだから仕方がない。

因島モールの広大な平地は内海造船があったところであるが、それ以前には塩田などがあったと言われている。塩田があったところは、たいていが干拓地で埋立地ではない。初期の塩田は入浜式であったから、海から高いところにある埋立地では作業効率が悪かったせいであろう。しかし、その塩田の跡を探すのは困難である。石垣の一部が残っているだけである。

因島モールの南側が扇新開で、北側が金山新開であるが、その境界ははっきりしない。おそらく、海へ伸びる水路がそれであろう。

扇新開の潮回しは、ひまわりの南の辺りから一部が見える。それは田熊桟橋まで続いているので明治橋から桟橋へ至る道が南の端であることがわかる。

それに対して金山新開の北端は複雑である。この辺りは山がせり出していて、道路が西へと方角を変えるので、この辺が境であろうか。

金山という地名は鉱山(かなやま)から来ており、銅の鉱山があったということである。島四国67番大興寺(小松尾寺)の下に坑道跡があり、山の中には縦に伸びる坑道跡もあると言うことであるが、素人が探検すべきものではない。銅山といえば銅だけが産出すると思いがちであるが、金や銀も他の土地に比べたら豊富に産出し、周辺にもミネラルが豊富なはずである。近辺では、生口島にマンガン鉱がわずかに産出した程度であるから、そんなに大きな銅山ではなかったと思われる。

(写真・文 柏原林造)

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