空襲の子【10】因島空襲と青春群像 土生で何が起きたか(下)ついに映像になった

青木忠
 NHK広島放送局は今年7月26日、「因島空襲―新たな証言」を放映した。わたしは固唾をのんで画面を見つめた。「ついに土生空襲の映像が生れたのだ」と思った。なすすべもなく61年間を過ごしてきてしまったが、やっとここまで来ることができたのだ。


 この番組の制作を担当した宮脇記者は当初から、「昨年の番組の繰り返しでは駄目ですから」と口癖のように語っていた。その意図が見事に映像に貫かれているように感じた。実際の空襲映像を使わなくとも土生工場の空襲の実態と全体像が浮びあがった。空襲の社葬責任者だった三浦勉さんは、社葬を行った実感からだと前置きしたうえで、犠牲者の人数について「働いていた工員さん、入港していた軍人さんなど100人をはるかに超えていた」と断言した。わたしの全身に衝撃が走り、爆撃に蹂躙される土生工場の風景が眼前に広がった。
 その犠牲者を荼毘に付した場所も特定された。そのあたりは、もうひとつの戦場だったのだ。次々と急坂を登りかついで集められた遺体は空襲下のしきたりで弔われた。映像はそれをあえて告げた。ご遺骨はどうなったのか。かつて感じたことのない悲しい予感が襲った。このシーンは辛かったし、ためらいもあった。空襲の実態に迫ろうとする記者の毅然とした姿勢に圧倒されるばかりであった。
 さらにカメラは、執拗にわたしにも迫ってきた。本気に慰霊祭をやるつもりなのか。映像は被写体であるわたしの内面をもリアルに表現するものだ。インタビューも容赦はなかった。何度も中断した。記者との息詰まるような時間が過ぎていった。「何をためらっているのだ。本当に言いたいことを言え」ということなのか。「よし分った。それなら来い」と思った。
 わたしは、「空襲のことを曖昧にしたまま時代を譲るわけにはいかない」「自分たちが生きているのは犠牲になられたあなたたちのおかげです」と語った。東京からもどり因島に住み直してから、育んできた心底からの想いが言葉になった瞬間だった。
 NHK広島の取材は約1カ月にわたった。無我夢中だった。そしてわたしは大きく変わった。因島空襲の爆心地にわが身とわが心を絶えず据えきり、空襲で亡くなった方々とともに生きて行こうと決心した。犠牲者の方々への慰霊祭をやりぬくことなくして、それができていない自分に何ができるというのだ。
 数え切れないしかばねが肉親にも見守られることなく火葬されたことを知ったとき、あふれる涙をおさえることができなかった。家族が寝静まった深夜、こみあげる激情に身をまかせ、ただ一人で泣き明かすしかなかった。そうしてためらいは吹飛んでいった。
 最近、この番組の録画を集まりや希望されたご家庭で見る機会が増えた。宮脇記者は番組の最後を「青木さんは、遺族の方一人ひとりにお会いして、来年こそは島をあげた慰霊祭を行なうとおっしゃっています」と結んだ。
(続く)
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因島空襲に飛来した米爆撃機コンソリデーテッドB-24リベレーター

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