2011年4月9日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【12】 悪夢の激動の昭和 5月1日、キミコと子どもたちは他の日系人と一緒に電車でグリーンウッドに連行されます。そして汚い季節労働者用の小さな小屋に収容されました。子どもたちは母キミコを信じ不安に耐えていましたが、父カツヨリの消息 […]
2011年4月9日 / 最終更新日 : 2011年4月9日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【66】 時代遺跡の島(17) 現代史への責任(2) 日本捕虜収容所について言及したのだから私は、「捕虜虐待」問題について語らねばならない。その意味でもフレッチャー・クック氏の著作は導きの糸になった。
2011年4月2日 / 最終更新日 : 2011年4月2日 times おかめはちもく 統一地方選挙 ソフト面が争点 かたかったサクラの蕾がパッと咲きそうな気配。そんななか各自治体は財政難を抱えての統一地方選挙を迎えた。
2011年4月2日 / 最終更新日 : 2011年4月2日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【11】 開戦と日系移民の迫害 キミコとカツヨリが結婚。カナダに移住して15年。二人は農場経営に成功。労務者や五人の子どもたちの世話を助けてくれる女性をバンクーバーから雇うまでになりました。
2011年4月2日 / 最終更新日 : 2011年4月2日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【65】 時代遺跡の島(14) 現代史への責任(1) 空襲と捕虜収容所の時代は公の歴史からすっぽりと欠落している。そればかりか地域においては、自らの現代史そのものへの言及さえ憚られる有様である。だとするならば誰かが、その時代を蘇ら […]
2011年3月26日 / 最終更新日 : 2011年3月26日 times おかめはちもく 春の甲子園 選手宣誓に思う 暑さ寒さも彼岸まで―。昔の人たちはすごいと思うことが多い。余寒の厳しさも春の彼岸になれば薄らぐという長期気象予報である。「彼岸」は春分と秋分の日を中日とした前後七日間をいい、昼夜の長さがほぼ等しい、気候の変わり目を予測 […]
2011年3月26日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【10】 62代エンペラーの末裔― ムラカミ・カツヨリの本家筋に当たる因島重井町の農業、村上安弘氏(84)=経済学博士、元市議会議長=は「彼は裕福な家の生まれだったことに違いない。5人兄弟の4番目。身体の大きな好男子で冠婚葬祭など […]
2011年3月26日 / 最終更新日 : 2011年3月26日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【64】 時代遺跡の島(15) 米軍作成地図 2008年8月、空襲当時に米軍が作成した、「土生 日本本州広島県因島」というタイトルの因島南部の地図が送られてきた。1万2500分の1で約60センチ四方の大きさ。無論、すべて英文である […]
2011年3月19日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【9】 重井の村上家と結婚 キミコ・オカノ=と妹サヨコの里帰りは10年ぶり。大正デモクラシーの影響を少なからず受けていた因島の田熊村民の目に映ったカナダ帰りのモダンガールに話題が集まったようだが「なにしろ昔の話で―」と、言葉少な […]
2011年3月19日 / 最終更新日 : 2015年6月6日 times おかめはちもく 東日本地震 因島でも乾電池が品薄に 地震雷火事親父という言葉がある。世の中の恐ろしいものを順番に並べたようだが、親父は古い家族制度の権力者の地位にあった。明治時代では不良息子を戸籍から消したという話を聞く。いわゆる勘当で、親父は怖い存在であった。 ところが […]
2011年3月19日 / 最終更新日 : 2011年3月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【63】 63時代遺跡の島(14) 因島捕虜収容所(12) これまで、著者が捕虜として因島に連れてこられ、福岡県宮田で解放されるまでを見てきた。その3年半におよぶ捕虜生活のなかで著者にとって忘れられないのは、仇名”ジョ […]
2011年3月12日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【8】 物語りは明治時代から一足飛びに大正―昭和へと移り変わっていくのでご容赦願いたい。江戸時代が終って欧米列強のせめぎあいのただ中にあった日本という、まことに小さい国が力も広さも10倍も違うロシアと戦って近代日本の青春期を迎え […]
2011年3月12日 / 最終更新日 : 2011年3月12日 times おかめはちもく はじまった「お願いコール」 見えてこない商都尾道の将来像 統一地方選挙を控え新年度予算審議もそこそこに議会を終え「お願いコール」が始まった。平成の大合併で23の市町になったとはいえ選挙準備は昔も今も大差ない。知縁、血縁、カバン、カンバンをベースに旧態依然とした選挙戦が繰り返さ […]
2011年3月12日 / 最終更新日 : 2011年3月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【62】 時代遺跡の島(13) 因島捕虜収容所(11) 著者は、「エピローグ――日本を再び訪ねて 一九六九年八月」の冒頭に次のように書いている。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【7】 カナダの両親と再会 日本に残されたという父母への恨みと慕う心を押えながらの6年余はキミコの幼少期に”忍耐”という精神力を培われた。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2011年3月5日 times おかめはちもく 二宮金次郎について 本紙連載中の「キミコオカノムラカミ」の中でカナダ移民家族の2世が因島田熊村立尋常高等小学校に入学、二宮金次郎の像に一礼して教室に入る描写をしたところ「二宮!」という人物はいったい何者か―という問い合わせ。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2011年3月5日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【61】 時代遺跡の島(12) 因島捕虜収容所(10) 著者が福岡県宮田の収容所にいたのは1945年の6月から9月である。その時期には、日本の敗戦は確実になっており、収容所側もそのことを自覚していたはずである。著者はここで「8月1 […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2018年3月31日 times おかめはちもく 尾道市長選挙に河野正夫氏参戦準備 市議会選挙は田頭氏引退、巻幡氏・金山氏出馬表明 4月17日告示、24日投開票の尾道市長選挙はロゴス(株)社長(尾道市木ノ庄町)で尾道大学特任教授就業力育成事業担当の河野正夫氏(45)が参戦する準備をはじめ話題になっている。 氏のブログによると「尾道に旋風を!」と呼びか […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【6】 日本の神々に守られて このころ(1910年)の日本は明治維新により”西洋かぶれ”の傾向が強く”洋服”を来て帰郷したキミコは村の子どもたちからうらやましがられました。祖母に当 […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2011年2月26日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【60】 時代遺跡の島(11) 因島捕虜収容所(9) 善通寺では食糧の欠乏に対処して、収容所の命令で将校をも含めて捕虜は農地の開墾に参加した。まさに、「私たちは、生きんがために進んで開墾作業に従事した。」という状況であった。しかし […]
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2011年2月19日 times おかめはちもく 上島町生名橋開通 急がれる因島側の待機レーン 平成の大合併で因島が越県合併のラブコールをした愛媛県上島四島のうち弓削―佐島―生名島の3島が橋で結ばれ、ほのかな希望の灯をともした。
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【5】 これまでのあらすじ― 1904年(明治37年)日系カナダ人として生まれたキミコは5歳のころからソルト・スプリング島からバンクーバーまでの運河をオカノ家が所有する大きな魚売り漁船を運転。船を埠頭に着岸する時だけ父親のクマノ […]
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2011年2月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【59】 時代遺跡の島(10) 因島捕虜収容所(8) 「1943年12月18日(土)午前九時、土生の捕虜仲間だった将校4人と私、土生収容所の〝微笑者(スマイラー)〟軍曹、それに善通寺から私たちをつれにきた日本軍の准尉――。この7人 […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2011年2月12日 times おかめはちもく 4月は地方統一選挙 尾道市が一心グループの因島観光開発(株)に譲渡した国民宿舎いんのしまロッジのリニューアルオープンセレモニー会場は約100余人の政界経済界やコミュニティー各種団体長が招待された。めでたい席であったが、4月の統一地方選挙を […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【4】 島を訪れると、ここに住む人々の温かさ、地域社会のなかでの信頼、助け合って生活している姿勢は観光客にも伝わっているようです。もともと環境保護への意識が高いカナダですが、なかでもソルトスプリング島は農地や保護管理地が多く建築 […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2011年2月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【58】 時代遺跡の島(9) 因島捕虜収容所(7) 劣悪な労働条件の造船所で、捕虜たちは作業についた。ここでも彼らは、部隊としての連携をとりながら、労働環境を少しでも改善しようと努力した。待遇も彼らを監督する日本人によってかなり違 […]
2011年2月5日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【3】 彼女の晩年は、カナダの前ブリティッシュコロンビア州知事だったWACベネット氏や放送界の伝説的人物ジャックウェブスター氏の友人でした。彼らはキミコを高く評価していたこともあって両氏は定期的にソルトスプリング島の自宅を訪れて […]
2011年2月5日 / 最終更新日 : 2011年2月5日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【57】 時代遺跡の島(8) 因島捕虜収容所(6) 英軍捕虜たちは決して囚人ではなく軍人であった。難局を迎えても座して死を待つのではなく、実に賢明な方針のもとに自らを守ろうとした。著者は次のように記している。
2011年1月29日 / 最終更新日 : 2011年1月29日 times おかめはちもく 吉田正浪氏を偲んで 彫刻家で比治山大学短期大学部名誉教授の吉田正浪氏が25日、尾道市因島田熊町の自宅で亡くなった。生れ故郷の因島田熊が大好きで大学を退官後は錦を飾るというのでなく、みかん畑に囲まれて海が見える所に「ついのすみか」を建て静か […]
2011年1月29日 / 最終更新日 : 2011年1月29日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【2】 全国一の「移民県」 全国一といわれた「移民県」の広島県人はハワイに始まって1890年代に入ると太平洋沿岸に面したカナダBC州へと広がった。日系カナダ人の大半は森林伐採や鉄道建設などで働いているが、なかには製材所を設立して […]