2011年7月9日 / 最終更新日 : 2011年7月9日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【8】津波を考える(1) 被災地から遠く離れて生活している者にとって東日本大震災は、体感できなかった揺れではなくて、映像で実況された大津波としてあった。その映像は、23万人の死者をだした2004年のスマトラ沖地震による大津波を思い起こさせる凄ま […]
2011年7月2日 / 最終更新日 : 2011年7月2日 times おかめはちもく 3.11後の水無月 水無月(みなづき)陰暦六月。古くは水を水田に注ぎ込む田植えのシーズンである。光陰矢の如し。1年の半分が過ぎた神社では夏越祓(なごしのはらいえ)の別名称で夏越しのお祓いをする。
2011年7月2日 / 最終更新日 : 2011年7月2日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【7】地震学者の警鐘(5) 石橋克彦・神戸大名誉教授は、地震学者としての危機感をふりしぼって警告するのである。地震列島における原発は「制御された安全」ではなく、「本質的な安全」が必要である。しかし、地震列島の原発の本質的安全など存在しない。地震が […]
2011年6月25日 / 最終更新日 : 2011年6月25日 times おかめはちもく NHK「おひさま」で思い起こす防空頭巾の思い出 NHK朝の連ドラ「おひさま」は、戦中教育を思いおこす光景が蘇ってくる。戦後生まれの人たちにはショッキングでいら立たしい思いにかられるだろうが、そういう時代であったと切り捨てることで現代を再興してきたとも言える。
2011年6月25日 / 最終更新日 : 2011年6月25日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【6】地震学者の警鐘(4) 石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)は、東日本大震災後の5月23日に開かれた参議院行政監視委員会で、参考人として「原発事故と行政監視システムの在り方」について意見を述べている。石橋参考人が準備したレジメ(要点)にそって見て […]
2011年6月18日 / 最終更新日 : 2011年6月18日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【5】地震学者の警鐘(3) 1997年から「原発震災」を警告していた石橋公述人(石橋克彦・神戸大名誉教授=地震学)は、2005年2月の衆議院予算委員会で、東海地震の予想震源域の真上にある浜岡原子力発電所に焦点をあわせ、その内容を明らかにする。
2011年6月11日 / 最終更新日 : 2011年6月11日 times おかめはちもく 林芙美子 紫陽花色のエピソード 暦の上の梅雨入りは11日というのに沖縄気象台は9日梅雨明けの発表をした。例年より2週間も早く、観測史上最も早い梅雨明けとなった。
2011年6月11日 / 最終更新日 : 2011年6月11日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【20】 終章(二) 2006年、トロントの映画製作者スーザンポイズナー氏は、北米大陸のカナダの歴史がイギリス人とフランス人の話のみで語ることができるという神話を払拭するためのドキュメンタリー「マザータン(母国語)」の試みであった […]
2011年6月11日 / 最終更新日 : 2011年6月11日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【4】地震学者の警鐘(2) 石橋公述人(石橋克彦・神戸大名誉教授=地震学)は、日本列島の大地震の起こり方には、活動期と静穏期というのが認められるとしたうえで、優れた地震学者ならではの時代認識を提示する。
2011年6月4日 / 最終更新日 : 2024年2月2日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【19】 終章(一) 娘のメアリーの話は続きます。 「注目されるカナダ人女性」の肖像写真の中でキミコは自分の農園で育てた”ひょうたん”を背景に収まっており、その被写体であるキミコの強さや個性がよく表れた写真 […]
2011年5月28日 / 最終更新日 : 2011年5月28日 times おかめはちもく 幕末の大地震と津波を手紙にしたためた本因坊秀策 浜岡原発の中止はむべかるかな 本因坊秀策が嘉永7年(1854)11月23日に郷里因島の父輪三と尾道の豪商で支援者だった橋本吉兵衛、長右衛門親子にあてた手紙の中に東海中仙の両道大地震を書き送った一節がある。
2011年5月28日 / 最終更新日 : 2024年2月2日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【18】 人種差別と偏見 この家族は戦前、戦後を通して繁栄していた日系人の遺物である墓石まで盗まれてゴミ捨て場になっていた日系人の墓地を再現しながらソルト・スプリング島で生き残ることを諦めませんでした。人種差別と偏見はオカノ・ムラ […]
2011年5月28日 / 最終更新日 : 2011年5月28日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【2】もう逃げない ふり返ってみるに大地震というものを意識するようになったのは、大学3年目に上京して首都に住むようになってからである。瀬戸内海沿岸での生活において地震が意識にのぼることは、ほとんどなかった。
2011年5月21日 / 最終更新日 : 2024年2月2日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【17】 戦争が終ったら、父母が夢と希望を抱いて日本から移民して来た北米カナダのブリティッシュコロンビアのソルトスプリング島に戻る計画を立てていたオカノ・ムラカミファミリーは厳しい現実に直面します。戦後4年を経過して戦時中の規制が […]
2011年5月21日 / 最終更新日 : 2011年5月21日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【1】東日本大震災 多くの人がそうであったかもしれないが、3・11東日本大震災によって私のすべてが変わってしまったようだ。突然の災禍の知らせに何もできないことを痛感するとともに、生起しているすべを直視し、つかみとろうと決心した。それ以来で […]
2011年5月14日 / 最終更新日 : 2016年3月7日 times おかめはちもく 広がる土葬 死者をどう弔うか 問われる宗教界 千年に一度という大地震に大津波が東日本を襲って2カ月を過ぎた。テレビ報道で見る限り復興のきざしの道は開けていない。余りにも大きな被害に何から手をつけていいのか打つ手をこまねいている現状。想定外のことばかりの中で、火葬場ま […]
2011年5月14日 / 最終更新日 : 2024年2月2日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【16】 人種差別と偏見 勝てば官軍負ければ賊軍…とか火事場泥棒ということわざがあるように戦後しばらくは各国とも秩序が乱れていたが、それも徐々に正常化されてきました。なにしろ一夜にして連合軍捕虜が戦勝国の兵士となり主従の立場が逆転 […]
2011年5月14日 / 最終更新日 : 2011年5月14日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【終】 時代遺跡の島 (21) 現代史への責任(6) 第二次世界大戦における捕虜虐待問題を調べている私にとって、米国のビンラディン容疑者殺害は不愉快な事件であった。ホルダー司法長官がこの行為の正当性を主張するにあたり、真珠湾攻撃 […]
2011年4月30日 / 最終更新日 : 2011年4月30日 times おかめはちもく 2011年度の尾道市経常収支比率は93・7% 統一地方選挙も終ってみれば収まるところに落ち着いたようだ。想定外だったのは3月倒壊説が出ていた菅内閣。11日の東日本大震災と福島原発事故で世界中の注目をあびながら一進一退。リーダー不足と言われながら2カ月目を迎えた。
2011年4月30日 / 最終更新日 : 2024年2月2日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【15】 敗戦国日系2世の解放 日本が連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では9月2日を”降伏の日”とか”降伏記念日”敗戦記念日”と呼 […]
2011年4月30日 / 最終更新日 : 2011年4月30日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【69】 時代遺跡の島(20) 現代史への責任(5) この間、因島において捕虜生活を過ごした英軍将校の著作を素材にして、秘められた戦時下の郷土現代史を記してきた。しかし、どうしても釈然としない部分が残った。大戦下の捕虜虐待が日本軍 […]
2011年4月23日 / 最終更新日 : 2011年4月23日 times おかめはちもく いまどうすればよいのか 原爆をふりかえる 「被爆者手帳を申請しなかった知人たち」 古稀も過ぎ、あっという間に八十路を踏み越えました。生きているといろんなことがあるものです。3月11日の東日本大震災という未曽有の惨事。地震、津波、火災に追い打ちをかける原子力発電所事故は地球の終わりを想起させる不安が脳 […]
2011年4月23日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【14】 世界大戦も大詰めに迫り日系カナダ人に二者択一の選択が与えられました。それは「日本を敵国として戦うか」あるいは「ロッキー山脈を越えて東側に移動するか」という内容です。
2011年4月23日 / 最終更新日 : 2011年4月23日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【68】 時代遺跡の島(19) 現代史への責任(4) ここまで捕虜収容所問題について書いてきたのだから、長い間伏せてきた問題意識のあらいざらいを文章化しようと思う。二度とこうした機会はないことだろう。
2011年4月16日 / 最終更新日 : 2011年4月16日 times おかめはちもく 問われる尾道市の未来 住民は何を目標にすればいいのだろうか。 月に叢雲(むらくも)花に風―名月を眺めようとすれば雲がかかり、花を愛でようとすれば風が吹いて花びらを散らす。世の中はとかくままならぬというたとえだが、散るサクラ、残るサクラも散るサクラと詠んだ人もいる。
2011年4月16日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【13】 日系カナダ人の選択 吹き晒しのぼろ小屋で風雪をしのいだ雪溶けのスロカン湖端のローズベリーにいた間にキミコ・カツヨリの一家にとって信じられない話を耳にします。
2011年4月16日 / 最終更新日 : 2021年8月10日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【67】 時代遺跡の島(18) 現代史への責任(3) 著者のフレッチャー‐クック氏は、因島収容所内での虐待行為について、冷徹な観察眼をもって次のように分析している。
2011年4月9日 / 最終更新日 : 2011年4月9日 times おかめはちもく 消えた道州制再編 4年前の統一地方選挙は県をはじめとして各市町首長議員の争点は平成の大合併による将来像だった。そのスタートの4年間の検証と分権改革に位置づけられていた県議選で道州制の論争が消えてしまっていた。
2011年4月9日 / 最終更新日 : 2015年7月1日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【12】 悪夢の激動の昭和 5月1日、キミコと子どもたちは他の日系人と一緒に電車でグリーンウッドに連行されます。そして汚い季節労働者用の小さな小屋に収容されました。子どもたちは母キミコを信じ不安に耐えていましたが、父カツヨリの消息 […]
2011年4月9日 / 最終更新日 : 2011年4月9日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【66】 時代遺跡の島(17) 現代史への責任(2) 日本捕虜収容所について言及したのだから私は、「捕虜虐待」問題について語らねばならない。その意味でもフレッチャー・クック氏の著作は導きの糸になった。