因島にて… つかみかけた確信【69】

時代遺跡の島(20)
現代史への責任(5) この間、因島において捕虜生活を過ごした英軍将校の著作を素材にして、秘められた戦時下の郷土現代史を記してきた。しかし、どうしても釈然としない部分が残った。大戦下の捕虜虐待が日本軍によるものだけだったのか、連合軍側はどうだったのか、というひっかかりである。


 私が米軍の空襲で死にかけたせいか、あるいは学生時代にベトナム戦争におけるアメリカの非人道行為を知ったためか、彼らの戦争に関する主張には絶えず違和感を覚える。キューバのグァンタナモ米軍基地内にある秘密刑務所でのイスラム政治犯への拷問、イラク戦争におけるアブグレイブ刑務所捕虜虐待事件などが報道されるたびに、疑惑が広がるのである。
 戦勝国であるアメリカやイギリスなどは国家をあげて、敗戦国である日本などの「戦争犯罪」を調べ上げ、「戦争犯罪人」を裁いた。しかし連合国側が、自らの日本兵捕虜への虐待の存在を認め、調査し、裁くことはなかった。
 ところで日本政府は、どうだったのか。占領軍が有無を言わさず下した、「戦犯」への判決を再検証することがあったであろうか。また、連合軍側の戦争犯罪の実態について国家をあげて調査をしたことがあったであろうか。
 第二次世界大戦は、世界の諸列強が総力をあげて、覇権と権益を奪い合った残虐極まりない戦争であった。その勝敗は、どちらがどれだけ残虐になりえたかによって、決せられたのではないか。より残虐になりえたからこそ戦勝国たりえたのではないのか。
 戦勝国は敗戦国の残虐行為のみを裁くことで現代史を大きく歪めた。それゆえ第二次世界大戦が世界的規模で反省されることなく、「正義の戦争」として自らの戦争行為を肯定した旧連合国側の主導権のもとに、戦争が依然として継続されているのである。
 日本の捕虜収容所関係者が「戦犯」として処刑されたいきさつについての資料を見て、ある事実に気付いた。BC級戦犯を逮捕し、起訴するにあたって少なからぬ日本人の協力があったという事実である。日本警察は戦犯容疑者の逮捕に全面的に協力した。自らの助命の代りにGHQへの密告を行なった日本人が相当数いたようだ。戦犯とされた人たちの家族は地域で孤立させられた。処刑された人たちの遺族の戦後はいかほどだったであろうか。
 私は日本の戦後史が単純でないことを思い知った。生まれ故郷の空襲や捕虜収容所のことがほとんど記録に残されていないのは何故か、その本当の理由が理解できた。郷土現代史はふれてはならない禁制の領域だったのである。
 しかし私は、その封印を取り除いてしまった。もうあともどりはできない。教師であった私の実父松本隆雄は、郷土誌「ふるさと三庄」のなかで、当時を回想し、イギリス軍捕虜のことにもふれている。

―私は高学年を担当しておりましたので学徒動員で日立造船三庄工場に出勤しました。日立造船は海軍の指定工場になっていたので駆逐艦とか舟艇等が接岸しておりました。私達の外に土生女学校の生徒、英軍の捕虜も一緒に働いておりました。

 父から、捕虜収容所のことを聞いたことはなかった。そればかりか、その後も誰からも知らされることはなかった。故郷の秘められた一級の歴史的事件への無知がどれだけ現代史への私の理解を表層的なものにさせたか、痛感するばかりである。
 歴史の流れの痕跡を自らの故郷のなかで発見することで現代史がまったく違って見えてきた。封じこんできた問題意識を開花させ、つかみとった視点を武器にさらに進んでいくときがきたのだ。
(青木忠)

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