北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【13】

日系カナダ人の選択

吹き晒しのぼろ小屋で風雪をしのいだ雪溶けのスロカン湖端のローズベリーにいた間にキミコ・カツヨリの一家にとって信じられない話を耳にします。


収容所に連行されるまではシャープロードの原野を開墾して農場経営に成功、バンクーバーからソルトスプリング島に農夫やメイドをやとえるまでになっていたのが日米開戦で一夜にして敵国日本人という立場に立たされた。四面楚歌―周囲は敵ばかりで、味方はみあたらなく孤立してしまいました。

一家はソルトスプリングの彼らの土地の権利が、敵国民との貿易に関する改正で取り締まりの任務を遂行していたカナダの国務長官へ移り、帰還兵へ転売。その後は退役軍人所有地条例の指導者へと転売されていることを知りました。キミコとカツヨリは、その事実をなかなか信じることができません。やがて、その事実に彼らは精神的に打ちのめされます。

というのも、親類、親友のような付き合いをしていた島民たちは「キミコたち一家が戦争が終わって戻ってくるまで所有地や家屋などをみんなで守っておくから安心して―」と約束してくれていました。にもかかわらず、強制的に売り飛ばした一家の土地から自分たちが利益を得ていました。

一家は、彼らから農園を売った取引の手数料を差し引くと、わずか500ドルしか手元に残らず、そのお金も政府に管理され、家族の投獄料を支払うために使われたのだと告げられるありさまです。

1944年(昭和19年)9月、アメリカ連合軍の戦況は好転、海空圏を手中に入れて、日本本土の爆撃も激しくなり本土上陸作戦も進んでいたころの話です。日系カナダ人は次の2つの選択肢をつきつけられます。

戦争で荒廃した日本に引き揚げることに同意するか。または、ロッキー山脈の東へ移住するか―を迫られました。一家はカナダ移民への夢を賭けての渡米。それも使用人を雇えるまでに成功した実績があり、負け犬になりたくはなかった。時がくればソルトスプリング島に戻れる日もあると信じ、アルバータ、アグラスのサトウダイコン(てんさい)農園に戻りもう一度辛抱することを選びました。目標と希望があるから、この家族にとっては苦しいことも耐えることができました。

安い賃金でも、いろいろな仕事をすることで一家はその後数年間を生き延びました。なかでもキミコの父、クマノスケが所有していたレストランの経営が多重債務に苦しみ、切り詰めた生活が続きます。

(庚午一生)

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