北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【2】

全国一の「移民県」

全国一といわれた「移民県」の広島県人はハワイに始まって1890年代に入ると太平洋沿岸に面したカナダBC州へと広がった。日系カナダ人の大半は森林伐採や鉄道建設などで働いているが、なかには製材所を設立して成功した人もいた。その裏側では白人社会からさまざまな排斥を受け、ハワイの真珠湾攻撃を期に41年米英との戦争に突入すると、カナダ政府は日系人を「敵国人」と決め、日本国籍の男性は道路建設のキャンプに送られた。そして2万1千人の家族たちを人里離れた地方へ強制移動させた。終戦後、88年にはカナダ政府が日系人収容をめぐり補償と謝罪を認めている。こうした背景などからアジアにルーツをもつ日系カナダ人を北アメリカの銀行券の肖像写真に採用するに値する女性キミコ・オカノ・ムラカミを紹介することにした。題してKIMIKOOKANOMURAKAMI A PICTURE OF STRENGTH Story by John Endo Greenaway(キミコ・オカノ・ムラカミ 強さ「勇気」の象徴=ジョン・エンドウ・グリーアウェイによるストーリー。原文提供塩路憲雄・東京、翻訳尾道市秘書課国際交流員森田響、ロンドン在住森本りゅう)


キミコ・オカノ・ムラカミは1997年(平成9年)93歳でこの世を去りましたが、彼女は生前、言い表せないほどの過酷な逆境を何度も乗り越え、彼女の生き様は"忍耐力"の大切さを後世に伝えるのに大きく貢献しました。

93年間の人生の中で、数多くの"一番乗り"の記録を残しています。まず、彼女はスティーブンストンで生れた初めての日系カナダ人(二世)であり、ソルトスプリング島で車を初めて運転した女性です。そして前述しているように北アメリカの銀行券に印刷されたアジアにルーツをもつ初めての人なのです。

日本流にいえば、御転婆娘というか、性格の明るい闊達な女性だったと昔を知る因島の人たちは語る。そして「キミコさんの親類は田熊村の岡野家で一時帰国して田熊小に通っていたと聞いている。のちに重井村のムラカミ家に嫁に行ったという話も聞いた―」という親戚、知人の記憶もあるようで移民の話は風化していないようだ。

(庚午一生)

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