ふるさとの史跡をたずねて【420】伝六⑳白滝教育
伝六⑳白滝教育
昭和30年に因島白滝公園保勝会が設立され、宗教的な要素を排除した町内会組織として誕生したわけであるが、それではそれ以前に白滝山が宗教的な集団によって管理されていたかと言うとそうではない。それ以前の管理者は白滝山五百羅漢創設の関係者の子孫などに過ぎなかった。
それはまた白滝山五百羅漢を作った団体が存在しなかったということである。それでは伝六個人が作ったのかと言うとそうでもなく、多くの人々の寄進によって作られた。
誠に不思議な話であるが、そのトリックは「功過自知録」にあったように私は考える。「仏菩薩祖師乃像をこんりうする入用 百銭一善(三宝功徳類)」(仏、菩薩、祖師の像を建立する入り用百銭一善)とあるように白滝山五百羅漢を作ることに協力することは、伝六の指導のもとに日々実践してきた「功過自知録」の善行の一つであった。
伝六の崇拝者は何人もいたと思われる。しかし、その人たちが宗教的な教団を形成した訳ではなかった。そのような状況であったから、白滝山の宗教的性格は次第に失われ、名勝地、観光地へと変わっていくのは当然であった。そのことを決定的にしたのが「因島白滝公園保勝会」の設立であった。
私自身は、伝六が紹介し、ほぼ全村民が共感した「功過自知録」という道徳実践の精神は村民の間に深く浸透し、明治以降も受け継がれていたのではないかと思う。それは明治以降の公教育を支える下地になっていたに違いない。だから私は重井村の明治以降の近代教育を白滝教育と呼ぶのだと思っていた。
ところが、昭和55年に発行された『白滝教育百年のあゆみ』(井上一次編集、重井町文化財協会発行)は私の期待に沿う物ではなく、伝六と白滝教育は直接結びつくものではなかった。
その「白滝」は「因島白滝公園保勝会」という名称で非宗教化された白滝山のイメージ、すなわち、ふるさとの山・白滝山であった。要するに重井教育という代わりに白滝教育と言い換えただけであった。
白滝山の宗教性が希薄化するとともに、伝六が広めた「功過自知録」は忘れられたのである。それはまた人々の頭の中で石仏が石像へと変遷するのと同じ道であろう。
(写真・文 柏原林造)
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