ふるさとの史跡をたずねて【409】伝六⑨功過自知録附録その1

伝六⑨功過自知録附録その1

功過自知録というのは道徳を点数化したもので、いわばゲームの配点表のようなものだと思えばよい。しかし、内容が道徳的なものである以上、項目の選択と配点は選者によって当然異なる。すなわち選者の思想が反映されるだろう。その思想を伺うには全文を見ていただくのが一番良いのだが、「附録功過自知録大意」というのが付いているので、それを見ることにしよう。

刊行本より4ページ少ないが、好善法師本を見る。「願い事あらばこの功過格を受持して善を積むこと一万にも満たせば禍い除き福(さいわ)い来たりていかなる願い望みも成就せずと言うことなし」「この功過格を修せん人は我常々信仰する仏神の御前にて悪事を懺悔し一心に祈請をかけ祈るべし」「その報恩には三千の善をなして神仏の御恩に報ぜんと誓いをなすべし」「毎月一日に神仏の御前にて前月の善悪を偽りなく算用すべし」(一部文字省略)などとある。

この辺りに「万善簿」発想のヒントがあるのだが、それは九州の話で重井村では、「万善簿」という言葉は使われない。

また、これまで紹介してきた万善簿に連なる功過自知録という道徳の点数化が単に道徳的善行の実践を勧めたものではなく、神仏の篤い信仰に立った、あるいはそれと一体となった実践活動の勧めであることがわかった。

ここで、これまでよく言われて来た「伝六が神儒仏から(人によってはキリスト教まで加えて)新しい宗教・一観教を創始した」という珍説を思い出しておこう。

点数化された道徳を儒教と読み替えれば、まさに三役揃い踏みではないか。そしてこの好善法師本を伝六のオリジナルな著書だと信じた人にとっては、功過自知録が「伝六が創始した一観教」に見えたに違いない。

この附録の部分も市販本と変わらないということがわかるように該当のところを写真㊦で示す。(※神仏のところに傍線を引いておく。)

そして神も仏も一緒に拝むというのは特定の仏教の宗派や神道の熱心な信者を除けは、現代でもそうであるように、多くの日本人に行われている慣習で、伝六が特別なことをしたわけではない。

しかし、およそ200年ほど前に重井村で伝六が神や仏を拝むことと併せて、この功過自知録の道徳実践活動を強力に推し進めたことは事実であろう。

写真・文 柏原林造

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