ふるさとの史跡をたずねて【389】柏原土廟(尾道市因島重井町上迫)

柏原土廟(尾道市因島重井町上迫)

峯松神社と書いたり峯松土廟と書いたりしたので、一抹の疑問を持った方もおられたと思う。それらの方がたに安心していただける例が柏原土廟である。これは212回で紹介した柏原神社のことである。それを再読していただく煩を避けて再説すると、古くは重井四廃寺の一つ無量寺のあったところで、のちに荒神さんになり、島四国81番白峰寺が設置され、それ以前から村四国7番十楽寺のあったところである。さらに新しいところでは福山の詩人木下夕爾氏が名作重井小学校校歌を作詞するのに町内を見渡すために訪れたところでもある。このような様々な歴史を留めたここも、柏原氏の先祖祭りもここで行われることは稀になり、参道途中にあった半鐘台も撤去され、忘れられようとしている。

土廟というと仏教か神道かと考えてしまう。これまでも何度か書いたように中国にとって仏教は外来宗教であった。その仏教伝来以前の古代祭政一致の時代、先祖の霊を祀るのが王権の証であった時代の言葉である。廟という字は家の中に朝という字があるから早朝に拝まれたということである。最近では初詣は午後にお参りするものではないという老人は少なくなったが、神道が日本古来のものであってもこの辺りは中国の影響があったのではないかと思う。

さて柏原土廟は柏原氏の先祖を祀っているわけだが、その来歴ははっきりしない。その祭主は柏原忠安で、永禄12年(1569)9月21日に村上氏6代の吉充が重井八幡神社を造営した時、中庄八幡神社からの勧請者として棟札に名前が書かれている人物である。柏原氏の遠祖を武蔵国丹党、平家の落人などと書いている人もいるが、それと因島柏原氏を結びつけるものはない。

ところが宮地氏の由来等を集めた小冊子「宮地家旧記」(昭和10年成願寺発行)には、「残武士柏原東新谷土肥等親族一致西国下落」と書かれてある。要するに宮地氏が吉和から因島へ来た時一緒に来たということであろう。

向島余崎城時代、宮地氏の名前が出るから柏原忠安も一緒に働いたのではなかろうか。

写真・文 柏原林造

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