2009年11月21日 / 最終更新日 : 2009年11月21日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【52】秀策に3連勝した水谷縫治 日本棋院の福井正明九段による水谷縫次の人物評は前述の秀策研究者の故樫本清人さんとはちょっと違っています。水谷の生涯はなみだの物語りだというわけです。 少年時代は伊予今治(愛媛県)の神童。本因坊秀策が郷里の安芸因島(広島県 […]
2009年10月10日 / 最終更新日 : 2009年10月10日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【48】囲碁十訣と孫子の兵法 「逢危須棄(危うきに逢わば、すべからく棄つべし)」―君子危うきに近寄らずということわざがありますが、危険はいつどこからやってくるか分からないものです。君子は危うきに居らず、賢人は危うきを見ず、聖人は危うきに寄らず、とも […]
2009年10月3日 / 最終更新日 : 2009年10月3日 times 本因坊秀策 秀策生誕180周年・開館記念特別展が本因坊秀策囲碁記念館で始まる 本因坊秀策生誕180周年記念・囲碁記念館開館1周年記念特別展が1日、同記念館で始まった。タイトルは「よみがえる本因坊秀策」。来年3月31日まで。午前10時から午後5時。火曜日休館。
2009年10月3日 / 最終更新日 : 2009年10月3日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【47】囲碁十訣と孫子の兵法 「入界宜緩(界に入りては、よろしくかんなるべし)」―ここでいう界は、相手の勢力範囲圏内で、敵陣の勢力圏へ打ちこむ時は穏やかな手を選ぶのが肝要。奇襲戦法で敵陣の界へ飛び込むのはつつしみなさいという戒めで被害を最小限に抑え […]
2009年9月5日 / 最終更新日 : 2019年3月2日 times 尾道てごう座 尾道てごう座が10周年の祝賀会 秀策・虎次郎ものがたり「神童の目」を上演した、市民劇団尾道テゴー座が8月30日、尾道国際ホテルで創立十周年記念祝賀会を開いた。平谷祐宏尾道市長ら100人が出席した。 同劇団が市民劇団として結成されたのは1999年5月。第 […]
2009年9月5日 / 最終更新日 : 2023年7月29日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【45】本因坊元祖日海和尚(2) 前述のように京都・日蓮宗寂光寺の僧、日海は後になって本因坊・算砂と呼ばれ、わが国初の本格的なプロ棋士の誕生となるわけです。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人七癖の戦国の権力者に仕え首も腹も切られずに仕えたのですから、 […]
2009年8月1日 / 最終更新日 : 2023年11月19日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【44】本因坊元祖日海和尚(1) 幕末の天才棋士、虎次郎―栄斎―秀策が江戸に上り入門したのが上野車坂の本因坊家でした。当時、本因坊家の当主は十二代丈和の時代で囲碁四家(本因坊、井上、林、安井)の元締めを徳川幕府からおおせつかっていた官賜棋所(碁所)の地位 […]
2009年7月25日 / 最終更新日 : 2009年7月25日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【43】虎次郎改め安田栄斎(その三) わずか一年余で殿様が推挙した囲碁の指導者である竹原宝泉寺住職葆真和尚と肩を並べた桒原虎次郎改め安田栄斎。この上の修業は江戸に上るよりほかはなくなりました。当然のことながら三原城主浅野甲斐守忠敬公を始め栄斎の大成に夢をか […]
2009年6月27日 / 最終更新日 : 2009年6月27日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【41】虎次郎改め安田栄斎(その一) 駿馬名伯楽に会う(1) 天下泰平の徳川幕府。国運をゆるがす軍(いくさ)もなく、江戸詰めの諸大名の話題といえば藩内のすぐれた人物、風景や名産品などお国自慢に花を咲かせていたということです。備後地方では春の「サクラ鯛」もそ […]
2009年5月23日 / 最終更新日 : 2009年5月23日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【36】郷里の父に宛てたもの(その4) 尾道人物誌土居咲吾(2) 広島浅野藩に関係の深かった問屋業者、加登灰屋橋本家宛に秀策が書き送った一節に「(前略)長尾浩策先頃参られ候説は留守其の後尋ね申す可く存じ候も其の儀無く御地へ対し申し分もこれなき次第也。然しなが […]
2009年5月16日 / 最終更新日 : 2009年5月16日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【35】郷里の父に宛てたもの(その3) 尾道人物誌土居咲吾(1) 本因坊秀策の生涯について時代を追っての記述をちょっと横道にそれますが、囲碁とはかかわりのない人間関係の描写、考察を述べることをお許し願いたい。
2009年5月9日 / 最終更新日 : 2020年6月11日 times おかめはちもく 幕末の尾道出身の偉人 碁聖・本因坊秀策と横綱・陣幕久五郎が生誕180年 幕末に活躍した尾道の2人の少年が生誕180年を迎えた。文政12年(1829)5月5日生まれで因島外浦町出身の本因坊秀策と出雲の国松江市東出雲町出身で同年5月生まれの横綱陣幕久五郎。ともに少年時代に尾道で才能を見つけられ、 […]
2009年4月25日 / 最終更新日 : 2009年4月25日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【34】エピソードの裏 閑話休題 本因坊秀策については重複をいとわず書簡や詩文などについて編集、読者のご迷惑を顧みず思いつくまま記してまいりました。五月五日は秀策が生まれた日ですので、書簡を休憩してエピソードの一端をのぞいてみましょう。
2009年2月7日 / 最終更新日 : 2018年4月27日 times おかめはちもく 咸臨丸に乗り込んだ尾道出身の医師「長尾幸作」について 江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」に乗り込んで米国を視察した福沢諭吉ら二十代の若者の中に尾道出身の医師、長尾幸作がいた。万延元年(1860)1月、勝海舟が率いる軍艦は50メートルそこそこの木造船。短期間の訓練で8, […]
2009年2月7日 / 最終更新日 : 2009年2月7日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【25】御城碁不はずみに候…(その4) 秀策四度目の帰省は、これが最後になるのでは―という虫の知らせがあったのではないかと思われる話題が多く残されているのも不思議です。 なかでも有名なのは、安芸国能美島生れの棋士、石谷広二(当時二段)に書き与えた「囲碁十訣 […]
2009年1月31日 / 最終更新日 : 2009年1月31日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【24】御城碁不はずみに候…(その3) 秀策は本因坊家に請われて20歳という若さで第十四世本因坊秀和の跡目に就きました。以来、御城碁出仕の準備を中心に門下生の指導、相撲でいえば地方巡業にあたる遊歴をしながら囲碁の研究と普及につとめる毎日でした。
2009年1月17日 / 最終更新日 : 2019年3月2日 times 尾道てごう座 尾道市政110周年・秀策記念館開館記念 市民劇団尾道テゴー座公演「本因坊秀策物語り」涙と笑い、感動の1時間30分 NPO法人尾道てごう座(田島美鈴理事長)第13回公演は11日(日)午後2時から尾道駅前のしまなみ交流館テアトルシェルネで行われた。演題は後代碁聖と仰がれる因島出身で幕末の天才棋士本因坊「秀策・虎次郎ものがたり」。 前日か […]
2009年1月17日 / 最終更新日 : 2009年1月17日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【23】御城碁不はずみに候…(その2) 秀策は9歳で江戸・本因坊家に入門。34歳という若さで亡くなるまでに因島外浦へ四度帰郷しています。第1回目は天保11年(1840)第2回目弘化3年(1844)第3回目嘉永3年(1850)そして第4回目が安政4年(1857 […]
2009年1月1日 / 最終更新日 : 2009年1月1日 times people 囲碁のまちづくり推進協会長 加納彰副市長に聞く「全国囲碁サミットを開催」 念願の本因坊秀策の生家と囲碁記念館が2008年9月に完成し、市技・囲碁のセンターになっている。囲碁のまちづくり推進協議会会長の加納彰副市長=写真=に新年の抱負を聞いた。
2009年1月1日 / 最終更新日 : 2009年1月1日 times 本因坊秀策 本因坊秀策記念館 お正月10時―15時 往時偲ぶ里帰り展 尾道市制110周年と本因坊秀策囲碁記念館開館を記念「第33期棋聖戦第三局尾道対局」は2月4・5日の両日因島土生町、ナティーク城山で開催される。ビッグタイトル戦にはスタッフをはじめ全国から囲碁ファンが来因、秀策生家跡や記 […]
2009年1月1日 / 最終更新日 : 2009年1月1日 times 本因坊秀策 秀策囲碁記念館前におみやげ店「わすれな草」オープン 因島外浦町の囲碁記念館前に、おみやげ店「わすれな草」(TEL0845-24-0107)が、オープンした。11月23日の開店以来、来館者の間で関心を呼んでいる。
2008年12月13日 / 最終更新日 : 2008年12月13日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【22】幕末のお城碁と公方様(その3) 御城碁の当日は、エントリーされた代表棋士たちが明け六つ時(あけむつとき=今の午前6時)江戸時代の大手門御開門と同時に登城、寺社奉行の指図の下に定められた御黒書院において対局が始まります。 書院といえば、日本では書斎の […]
2008年12月6日 / 最終更新日 : 2008年12月6日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【21】幕末のお城碁と公方様(その2) 嘉永7年11月23日附(1854)で江戸の秀策から郷里の尾道港橋本吉兵衛と長右衛門の両者にあてた手紙の中に 「当年はお好み碁もこれ無く残念に存ぜられ候」 という一節がある。
2008年11月29日 / 最終更新日 : 2008年11月29日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【20】幕末のお城碁と公方様(その1) 秀策が幼い頃から終生パトロン的な存在であった尾道の豪商、加登灰屋橋本吉兵衛竹下(ちっか)や故郷因島外浦の父桑原輪三(わぞう)に宛てた手紙の中で公方様(くぼうさま=徳川将軍)のことにふれたものが二通残っています。その文面 […]
2008年11月15日 / 最終更新日 : 2019年3月2日 times 尾道てごう座 市民劇団尾道てごう座 合併の垣根越え因島初公演 感動の余韻残した本因坊秀策伝 NPO法人尾道てごう座(尾道市新高山二丁目、田島美鈴理事長TEL0848-46-3562)は9日午後2時から因島市民会館大ホールで幕末の天才棋士、碁聖・本因坊「秀策・虎次郎ものがたり―神童の目」を上演。約800人の観客を […]
2008年11月15日 / 最終更新日 : 2019年3月2日 times おかめはちもく 芝居「秀策・虎次郎物語」因島公演を終えて 冷たい晩秋の曇空だった9日。観客がひいた因島市民会館大ホールは暖房が入っていなかったにもかかわらず温もりが残っていた。 昨年秋のこと、NPO法人尾道てごう座の田島美鈴さんから「碁聖・本因坊秀策」をお芝居にしたいと相談があ […]
2008年11月8日 / 最終更新日 : 2008年11月8日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【19】いくつかの美点(その2) 秀策の書簡を解読していると、父親へは何でも打ち明けている。もっとも、父親宛の手紙は母カメにも見せることを想定していたからでもある。 例えば、安政6年12月(1859)11日付の手紙に「尊書は妻も拝見致しがり申し候間、 […]
2008年11月1日 / 最終更新日 : 2019年3月2日 times 尾道てごう座 市民劇団尾道テゴー座 因島初公演「本因坊秀策伝」順調な仕上がり 11月9日因島市民会館で午後2時開演 NPO法人尾道てごう座(田島美鈴理事長)は、幕末の天才棋士で後世「碁聖」と仰がれる因島出身の本因坊秀策伝―虎次郎ものがたり―「神童の目」を11月9日午後2時から因島市民会館大ホールで公演する。 10月30日に因島市民会館 […]
2008年11月1日 / 最終更新日 : 2008年11月1日 times 本因坊秀策 秀策記念館見学とテゴー座公演観覧 尾道市教育委員会文化振興課内「囲碁のまちづくり推進協議会(TEL0848-25-7366、FAX0848-37-2740)」は9日、因島外浦町にオープンした本因坊秀策記念館見学と、囲碁交流対局、テゴー座公演「秀策・虎次 […]
2008年11月1日 / 最終更新日 : 2008年11月1日 times 本因坊秀策 時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【18】いくつかの美点(その1) 日本囲碁史のなかで後世「碁聖」の名を冠せられ、本因坊跡目でありながら「本因坊」を名乗って異論をとなえる者がいない秀策の名声。彼が、将軍出座観戦の御城碁で前人未到の十九連勝の記録。碁道に於けるあくなき研究の執念によって定 […]