「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【35】第六章 最後の旅路

多くの人達に倣って人生を旅に例えるなら、きっと今の私は、最後の旅路の渦中にいるのであろう。私の歩みは、落ち着きのない、ただ慌しい歳月の連続であったように思える。

ところが現在、立ち止って過去をふり返って考える機会が与えられている。実に幸運と言うべきであろう。

本編を掲載し始めてまもなく、沖縄の野原淳子さんからメールが届いた。

小説ありがとうございました。読みましたよ。

読みながら偶然にも嬉しかった部分があります。

私の卒業高も首里高です。青木さんが書かれた甲子園の土の話はよく聞かされました。

私はこの作品の第一章の冒頭に、沖縄の首里高校が甲子園に出場した際の、「甲子園の土」のエピソードについて描いた。野原さんはその頃、何歳だったのだろう。もしかしたら、生まれていなかったのかもしれない。

彼女は復帰の頃のことにもふれている。

私が小学校1年の時に復帰を迎え、アメリカ人から日本人になって、パスポートも必要なく行き来できるので、便利になったねと両親が話していたのを覚えています。

USドルを使い、スーパーに色とりどりのアメリカ製品がたくさん溢れていて子ども心ながら、「戦争に負けるはずだ」と感じました。

そうか彼女は、一九七二年の沖縄返還を小学校一年生で迎えたのだ。少女の「復帰の実感」に私の心はときめいた。沖縄のことを何度も語り、闘争を繰り返してきた私が、初めて聞いた地元での家族の会話であった。

メールには空襲についての言及があった。

沖縄での十・十空襲の話、圧倒的な物力と技術を駆使して攻撃をしてきたアメリカが沖縄の地上戦だけでなく、日本への空襲をもって、たくさんの一般の方々が亡くなり、被害に遭われた事実を読みながら改めて考えました。

私はすぐに返信のメールをうった。

感想をいただきありがとうございました。

メールの内容の全てが、とても新鮮に思え、僕はすっかり興奮してしまいました。

まるで野原さんのメールは一つひとつが作品ですね。僕の作品を途中から、あなたと僕の往復書簡の形式にしたくなりました。

私は連載に、沖縄闘争への本格的な決起の過程を記した。野原さんのメールが連続した。

沖縄で生まれ育った私は、小さい頃から戦争は身近にありました。ベトナム戦争も小学校の時で、アメリカ人がたくさん繁華街に溢れて、それが普通だと思っていました。

私は1965年生まれなので、学生運動は経験しておりませんが読んでいると、深い悲しみみたいな感情が湧きました。

若い人が皆迷って、何かを探している様子が伝わります。それぞれの方々が、探し物を見つけ答えが出たのでしょうか?

その答えに大変興味があります。

対馬丸記念館の野原さんとのメールの交換が私の文章に微妙な影響を与え始めた。自分の内面をそのまま描いていこうと改めて決心した。

(青木忠)

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