故郷への手紙【2】つながり

つながり

「東京大空襲がなかったら、あなたのお母さんはいなかったのよ」

叔母の一言がとても印象的だった。
熱海に暮らす叔母は、私の母とは異母姉妹。東京大空襲で母親と姉ニ人を亡くした。その後、継母との間に産まれたのが母である。

叔母が一冊のファイルを見せてくれた。

そこには、茶色い戸籍謄本や白黒写真、小さな葉書の数々。写真には、叔母の実母と二人の姉。目がとても印象的な三姉妹。

収められていた葉書は、一番上のお姉さんから疎開先の叔母に送られたものだった。妹の叔母を気遣う言葉と頼もしい言葉に、目頭が熱くなった。

当時の様子を思い出話をするように軽快に話す叔母。会って話をすることができる時間を大切にしなければと思いながら、涙を堪えた。

先日、叔母から頂いた資料をもとに東京都慰霊堂がある両国を訪れた。

大相撲で知られる国技館から五分ほど歩くと、東京都横網町公園がある。そこに建てられているのが、この慰霊堂だ。

そこには、関東大震災と東京大空襲で亡くなられた方々の遺骨が安置されている。

公園事務所の方から頂いた冊子の東京空襲日誌という欄には、昭和17年4月18日から、終戦を迎えた昭和20年8月15日までに被災に遭った地区がびっしりと記載されていた。私が暮らす大田区も、いつも人でごった返している渋谷も、綺麗な建物が並ぶ銀座の街も、遠く離れた八丈島などの伊豆七島まで。

これが目を背けることは出来ない事実なんだと、強く感じた。

慰霊堂の中に入ると、立派な花輪が並べられていた。目の前には、線香をあげる男性が一人立っていた。椅子に座りじっと前を見る男性もいた。親子と思われる二人組やスーツ姿のサラリーマン、外国人の方もいた。

様々な人がそれぞれの思いを持ちこの場所に訪れている。このような瞬間があることが、伝えることへの一歩になるのではと感じた。

小学生の頃は、授業の一環として聞いていただけの空襲。

私の家族にこんなにも深く強くつながっていたなんて、夢にも見ていなかった。

私と弟が東京にいることが、父や母の思いを叶える大きなきっかけになればいいなと思う。

青木めぐみ

(青木恵)

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