ふるさとの史跡をたずねて【236】倉谷神社(因島大浜町沢崎)

倉谷神社(因島大浜町沢崎)

島四国2番極楽寺から3番金泉寺へ行くには、国道へ出て第二久保田橋の跡のところで右折するのだが、第三久保田橋で右折して神社のところで左折し古い路地を歩くのも風情があってよい。そこの神社が倉谷神社で、厳島神社かと思ったがそうではなかった。沢崎小宮とも言う。大河原(倉崎川)横の道は福山大学の連絡バスも走る幹線道路であるが、実は三代目である。それを私は古い順に大浜往還(古道、旧道、新道)と呼んでいる。

大浜往還(古道)は尋常小学校に高等科が設置された時、重井村の方が少し早かったので、大浜村にできるまで大浜村の子供たちが通った山路である。村境の辺りから白滝山の登山道に接する。今でも重井町側はかろうじて通れる。

大浜往還(旧道)はかつてあった因島消防署因北分署の近くにある塞の神の所から入るが、しまなみ海道のところで今は消えている。この峠道を通ったことが一度だけある。中学を卒業した早春、三年間担任をしていただいた大浜町の河野高三先生のお宅へお礼に行って来いと言われ、単身自転車で向かった。最頂部は切り通しでできていて押して登った。怖かったが、無事倉谷神社の前に着いた時はほっとした。15の春の遠い記憶である。
この時のことを使った小話が偕成社から出版された時、それを読んだ母親が、ここのことでしょうと言った。母親というのは、切り通しより怖いものだと思った。

大浜往還(旧道)が、大浜中庄間の海岸道路の花壇にある新設道路開通記念碑に同時に記されている「自大濱村至重井村大池奥崩岩線」という道路で久保田権四郎翁の寄付によるものだったということを知ったのは、更に後のことであった。

写真・文 柏原林造

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