ふるさとの史跡をたずねて【208】備後ドック記念碑(因島三庄町町七区)

備後ドック記念碑(因島三庄町町七区)

因島四国88箇所は明治45年の創設であり、場所が移動したものも多い。三庄町の40番観自在寺も、無量寺の隣を通って山側から行ってみたが廃寺になっていた。この道が初期の遍路道だと思われるが、最近は、七区の崖下から登っていた。その道も荒れていて、雑草を掻き分けてかろうじて降りた。

この辺りはかつて、因島高校のマラソン大会の折り返し地点だった。スタンプ台を持った先生方が待機されていて、手にスタンプインキをつけて折り返した。当時は社宅が軒を接しており、私にとっては珍しい光景であった。

崖側の路肩はセメントで覆われ、閉鎖された防空壕の跡や古いお地蔵さんがあって、土地の歴史がうかがわれる。道の反対側にもお地蔵さんがあるのだが、その隣に備後船渠史蹟がある=写真

船渠(せんきょ)とはドックのことである。若い人たちのために敢えて書けば、工場内の大きなプールだと思えばよい。修理の時は船を入れてから海水を抜く。浮かべる時には海水を入れる。

余談ながら戦艦大和と戦艦武蔵は基本は同じ設計図で、大和は呉の海軍工廠のドッグで作られ、武蔵は三菱の長崎造船所で船台で作られた。完成品は海に浮かべるのだから、船台では進水に余分の労力がかかるし、また重量制限もかかる。いかにドックが重要かということが想像できるだろう。

そのドックのある造船所を作ったのである。上の左側の石版には、備後船渠株式会社の工場が明治34年6月に起工したと記してある。前年に三庄船渠株式会社として発足したが頓挫し、この年社名を変えてスタートしたわけである。

これより前、明治30年には土生村長崎に土生船渠株式会社ができており、36年に因島船渠株式会社と改名した。大阪鉄工所因島工場は明治44年頃、因島船渠株式会社を買収し、大正8年には備後船渠株式会社を買収した。そして備後船渠株式会社は大正11年には、大阪鉄工所因島三庄分工場と改名された。大阪鉄工所は昭和18年に日立造船となった。

写真・文 柏原林造

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