空襲の子Ⅱ【38】十年間の調査報告 因島空襲と企業(2)

「因島造船所は、3月19日と7月28日との2回にわたって空襲を受け、数名の死傷者を出したほか、工場の施設に損害をうけたが、ほとんど操業に影響がなかった」(「日立造船75年史」、昭和31年)。


 数名の死傷者とは、死者が何人ということを意味しているのか。このような死者を愚弄するウソがまかり通るとでも思ったのか。日立造船による因島空襲の歴史的事実の隠ぺいと改ざんはあまりにもひどく、企業そのもののごう慢さを余すところなく示している。過去の因島において、「日立でなければ人間ではない」とまで言われた時期を想起せざるをえない。
 日立造船は、なりふりかまわず企業の社会的責任を放棄している。
 その手法の第一は、軍人・軍属の犠牲者、軍事徴用船の犠牲者の無視と抹殺である。徴用船とは、民間船舶会社から軍が徴用した船を指す。
日立造船は社史に次のように記している。

―第2次世界大戦は、わが国の無条件降伏によって終結し、その結果、日本の造船工業は海軍と海運の2大顧客を失い、操業はまったく不可能となり、…。

 まさしく造船業は官軍産一体となり、戦争によって巨大化した。軍と海運会社は造船所のお得意先であったが、敗戦になるや犠牲になった軍人や船員を慰霊するどころか、「われ関せず」という態度をとったのである。
 空襲から工場や船舶を守るために対空高射砲で敵戦闘機に立ち向かった軍人が犠牲になった。入渠中の徴用船が集中的に狙われ、抵抗する術もない幼き船員たち15人が死亡した。果たしてこれらの犠牲者たちは、造船所と無関係とでも言えるのか。
 第二に住民犠牲者の無視と抹殺である。企業は、「軍需工場さえなければウチの子どもは死ぬことはなかった」という住民の怨嗟の眼差しを恐れ、沈黙を決め込んだ。
 当時、土生や三庄の造船所の周囲は、現在と同じように民家が密集していた。造船所がやられるということは、民家もやられるということであった。造船所は地域によって支えられており、工場と住民は一体だった。やはり三庄では17人以上の犠牲者がでた。
 第三に工場施設への被害と従業員犠牲者数についての厚顔無恥なる改ざんである。企業内のことであればどんなひどいウソでも通用するとばかりに、従業員の犠牲者をゼロに近づけようとしたのである。
 同社は、大阪大空襲による桜島造船所と築港造船所の被害、川崎大空襲による神奈川工場の被害をある程度、公表せざるを得なかった。それぞれの空襲が大規模な都市無差別攻撃であったがゆえに隠蔽はできなかった。空襲後の写真も公開している。
桜島造船所 3月14日、6月1日、7月24日の3回。《6月1日》数発の爆弾投下により、工場の建物機械に損傷。造兵部長荒木国幹、艤装課長西山栄三郎、防護課長太田柾九郎の三氏をはじめ数十名の犠牲者。《7月24日》十数発の爆弾投下により、壊滅的被害。
築港造船所 3月14日、6月1日、6月15日の3回。《6月1日》従業員三十余名の犠牲者。建物被害率55パーセント。機械装置50パーセント損傷。
神奈川造船所 連続八回にわたって空襲を受け、多数の死傷者。
 因島造船所については、冒頭に掲げたようにわずか三行で、淡々と記述しているのみである。写真はほかの造船所と異なり、掲載されていない。
 この記述の偽りを、内部資料、証言、調査資料によって暴いていこう。
(青木忠)

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