上島町生名島全域で因島空襲の調査活動 生名公民館で25日報告会

空襲を受けた日立造船因島工場の対岸の上島町生名島全域で2日、因島空襲の調査活動が行われた。愛媛新聞(8月26日)の因島空襲調査活動の報道をきっかけに初めて実施された。同島在住の村上寛仁さんが案内し、因島空襲を考える会の青木忠、中村公巳さんが参加した。

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対空高射砲陣地があった厳島公園から日立因島工場を望む


その直前に遺族や関係者から生名島と弓削島の空襲犠牲者の情報が寄せられ、緊張した雰囲気で調査が始まった。

港務所で、瀬戸内海の歴史に詳しい村上貢岡山商科大・弓削商船高専名誉教授と交流した後、車で出発。最初に空襲負傷者が収容されたと思われる病院施設跡や生名島にあった連合軍捕虜収容所跡とみられる日立造船用地を見学した。

当時、生名島には深浦、厳島の2カ所に因島工場防衛のための対空高射砲陣地があった。その場に立ち、眼下に日立造船因島工場を見下ろした。

最後に、犠牲者が葬られている正福寺を訪ねた。25日午後1時30分~同3時30分、生名公民館で因島空襲報告会が急きょ開かれることになった。

生名村誌が手引き

生名島から見た因島空襲ついての「生名村誌」の記述が、今回の調査の手引きになった。同誌は、因島空襲が同時に「生名空襲」でもあったとの視点で、描いている。

国民学校の「訓育日誌」が掲載され、空襲警報発令下の学校の状況が記されている。

高射砲陣地とその所属部隊、それが空襲に応戦したこと、立石付近に連合軍捕虜収容所があったこと。徴用工員寮(恵生寮)が開設されたことなど、興味ある事実が列記されている。

年表には、「日立造船因島工場二回目の空襲を受ける(爆弾投下のため尾又沖海底に大穴が開く)」と記されている。

高射砲陣地の部隊は、福山市の暁第2953部隊の松山隊。平成15年ころ、その元兵士が、遠く関東地方から生名島を訪ねてきたという。

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