ふるさとの史跡をたずねて【188】御嶽大神(因島重井町白滝山)

御嶽大神(因島重井町白滝山)

御嶽教は江戸時代後半に山岳宗教から出発し、明治以降国家神道的な宗教になった。だから江戸時代の木曽御嶽講を明治以降の御嶽教と同列に論じるととんでもない誤りに陥るであろう。

しかし、御嶽大神というのはクニトコタチノミコト、オホナムチノミコト、スクナヒコナノミコトの三神のことで、御嶽講の伝統を継承しておりながら、明治以降の御嶽教では神徳の発揚と敬神、尊王、愛国を教義としている。一方、御嶽講の方は時期によって異なるが、修験道の祈祷行法による現世利益に惹かれた農民層を中心に発展していた。

このようにまことに複雑な御嶽教の小祠が白滝山にあるのだ。と言ってもご存知ない方が多いと思う。山頂で大浜町方面を望むと東の端に日本大小神祇と書いた石碑がある。その後ろにある大岩が、いつの頃からか、ゴリラ岩と呼ばれている。語感からして古い呼び名でないことはわかるだろう。そのゴリラ岩の裏側(東側)に回ったところにある。

その設置が、明治以前か以後のものかが私には気にかかる。前述のように教義は変わっても御神体は同じだから、写真のように「御嶽大神」とだけ書かれているので、どちらのものかは決めることはできない。

古い写真では日本大小神祇の隣にあるように見える。日本大小神祇というのは、日本の様々な神々ということで白滝山五百羅漢建設当時のものとしては唯一の非仏教的建造物である。神仏習合、すなわち神も仏も一緒に拝んでいた時代であった名残である。それとの近親性からここに祀られたのなら、明治以降のことであろう。

あるいは、鴻雪爪翁が御嶽教の第二代管長になられたのは、明治18年から37年までであるから、その関連かもしれない。

(写真・文 柏原林造)

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