ふるさとの史跡をたずねて【168】一観夫婦像(因島重井町白滝山)

白滝山上の石造物の中でも正面の釈迦三尊像についで目を引くのが、頂上近くにある伝六夫婦像である=写真。白滝山上に五百羅漢像を作ろうと提案した柏原伝六は観音道一観と自ら名のったので、一観夫婦像と呼ばれている。

伝六は、仏教、神道、儒教に当時ご禁制のキリスト教を加えて一観教という新しい宗教を作った、と多くのところに書かれている。今回はこの文章の妥当性について考える。結論から記すとこれは全く間違っている。それは神道やキリスト教がいいとか悪いとかいう倫理の問題ではなく、思考の論理の問題である。

私が調べた限りでは、伝六生存中も、死後も、そして現在も一観教を名のる宗教集団は存在しない。

それでは、簡潔に言って一観教とはどんな宗教なのか、と調べてみても、これまたどこにも書いていない。もちろん詳しく、具体的に一観教について書いたものもない。

新しい宗教という以上、他の宗教と異なる独自の概念があるであろう。それが何であり、ここにいう四つの宗教とどのように違うのかということも説明されなければならない。例えば、伝六の言う愛は仏教の慈悲、キリスト教のいう愛(アガペー)、儒教の仁などと、どのように違うのか。

そして何よりも大切なことは、儒教的道徳が禁制のキリスト教を取り入れることの矛盾、それを伝六がいかに解決したのかということも、解明しておかなければならない問題である。

また、現代の多くの人が感じているように、宗教と葬式との関係も不可分である。伝六の百回忌は因北各寺の曹洞宗の僧侶を呼んで盛大に行われた。すなわち誰もが曹洞宗から伝六が抜け出ていないことを認めていた、ということであろう。

以上のことから想像するに、宗教というものが小学生の足し算や割り算のようにしてできると考えた人が言ったことが、無反省に書き写されてきたということであろうか。

このような実体のない言説を意味もわからずに書き写す行為は、知性の欠如以外の何物でもない。書いた本人がわからないようなことを書いて観光客を愚弄するのは、そろそろ辞めようではないか。

(写真・文 柏原林造)

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