ふるさとの史跡をたずねて【181】不動明王(因島大浜町福泉寺)

不動明王(因島大浜町福泉寺)

因島大浜町の真言宗福泉寺は因島村上家の分家筋の村上丹後守吉房創建のお寺ということで65回(2017年12月9日)で書いたが、江戸時代に再建したのは細島の修験者であった。

細島の松本屋西原氏の初代松本弥兵衛は72歳で天正八年(1580)に亡くなっている。以後、各代の戒名は禅定門・禅定尼で修験者はいない。ただ、初代のところに「我が宅地の上に白道院の古跡あり、代々所有す、他家は無論親類たり共譲を禁ず、土人此地を道院畑と呼」とある。

一方、福泉寺の伝える文書によると、松本弥惣兵衛氏清は大内義隆の四天王の一人で、甲州船起山の合戦で負けて死ぬ。「子供二人あり逃れて牛窓に来り山伏となり、遂に細島に来りて住す。弟は松本の性(姓)をかたり百性(姓)となり、兄は僧となり」福泉寺の住職となったと概説されている。その後に、氏清から、氏政(酒井先祖)、氏勝(白道和尚)、実長坊(福泉寺祖)と人名が続く。四代俗名実長坊については、権大僧都浄慶法印、細島にて父子修行、慶安四年(1651)没などの記述がある。

以上の二つの伝承を私なりに最小限の修正で整合性を持たせると次のようになる。氏清の子供二人は細島に住んで、大浜酒井氏、松本屋西原氏の祖となる。酒井氏三代の実長坊が福泉寺の専属住職となり、細島を去るとき土地屋敷は松本屋へ与えた。

酒井氏により福泉寺は守られるのであるが、『御調郡誌』277頁に紹介されている山伏吉祥院は十代大越家吉祥慶賀法印のことである。大越家とあるので福泉寺住職が他家に変わったような印象を受けるが、そうではない。大越家(だいおっけ)というのは当山派山伏の最高身分のことである。なお、この吉祥院は中庄村佳屋からの養子である。

不動明王は山伏につきものであるが、多くの宗派で奉納されているので、これだけでは修験道関連遺物だとは断定できない。

しかし福泉寺の場合は、本尊の十一面観音を左脇侍の役行者とともに右脇侍として不動明王が配されており、山伏好みだと思う。

(写真・文 柏原林造)

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