ふるさとの史跡をたずねて【63】土居城跡(因島大浜町土居)

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土居城跡(因島大浜町土居)

幸崎城跡の他に大楠山の東山麓にある土居城跡も村上丹後守吉房の居城だと言われている。土居というのは住居と砦を兼ねたもので、後に砦が城郭へと発展していくのだが、その初期の段階と考えられるものだから、こちらが屋敷跡で幸崎が砦跡と考えるのがよいだろう。

江戸時代になって畑地として整地されたことと思われるが、その広さから往時の繁栄が偲ばれる。今は竹藪で遮られて見えないが、八重子島が眼下にあり、備後灘そしてはるかに燧灘を望む、戦略上重要な場所であるが、風光明媚なところだったに違いない。

丹後守吉房の母は能島村上氏雅房の娘であり、また吉房の姉(または妹)が雅房の孫である義雅(吉雅)に嫁しているので、この頃の因島村上氏と能島村上氏との関係は深かったものと思われる。そ一例が次男大浜内記の活躍である。大浜内記は弟の右京進とともに能島氏に召置かれていた。心仁に有りてその上算術に達者だったということで重宝されたようだ。

大浜内記は村上武吉に従い筑前へ行っている。これは秀吉の命で小早川隆景の領地へ移った時のことであろう。秀吉の死後、武吉は竹原に帰るが、内記はそれにも従った。竹原では奉行となったことが能島氏の分限帳に書かれている。

(写真・文 柏原林造)