因島にて… つかみかけた確信【3】

目黒から故郷へ

発端はささいなことだった。一旦は終の棲家と決めた東京での、25年にもおよぶ生活を捨てて故郷に帰ろうと決心したのは、アパートの大家の一言が原因だった。「洗濯機を使うのは決められた場所にしてください」と言われたのである。冬になると、指定された外での洗濯は寒く、風呂場で洗濯していたことにクレームがついたのだ。

二部屋に台所、風呂、トイレの付いたアパートも、二人目の子供が生まれ、手ぜまになってきたころでの「洗濯機問題」には我慢できなかった。「田舎に帰れば自分の家があるというのに、なんでこんな窮屈な生活をしなければならないのか」と思った。しかし、大家さんが悪いわけではなく、私が、都市生活の窮屈さに耐えられなくなっただけだったのである。私も父親らしくなってきたのかも知れない。子供たちを、私が生まれ育った環境のなかで、育ててみたくなったのだろう。

私の住居は、東京都目黒区の私鉄沿線にあった。もよりの西小山駅から徒歩で五分のところで、庶民的な商店街にも恵まれ、生活環境は申し分なかった。近所づきあいも活発で、子供たちも順調に育っていった。

アパートは家内ひとりで探し、決めた。因島に帰ってきて知ったのだが、生れてくる子どもたちの進学する高校を設定し、そこから逆設計するかたちで、選んだという。つまり家内は、私には明かさなかったが、独自の人生設計を持っていたのだ。

ある日、「お父さんは田舎に帰ってきてほしいみたいよ」と、家内は告げた。私の知らないところで、父と電話でやりとりをつづけていたようだ。そのとき初めて、「島に帰ろうか」と私の内心を打ち明けた。複雑な想いだったろうが彼女は、反対はしなかった。まずは、移り住むことに現実性があるか、因島に調査のために帰省した。しかし結果は、私の決心をぐらつかせた。仕事がないということは覚悟の上だったが、保育所問題にはまいった。

東京目黒区では、二人の子供を都立の保育園に通わせながら夫婦で働いた。それとは違って因島は、その環境が整ってないことが判明した。私の動揺は広がった。「やっぱり帰るのはやめようか」と言い出し、どうするかはっきりさせないまま日々が過ぎていった。
見かねたのだろう家内は、ついに言った。「帰るんだったら早く帰りましょう」。この一言ですべてが始まった。お世話になった人への挨拶も済ませた。家財道具はすべて持って帰ることにしたが、可愛がってきた数尾の金魚だけは、子供たちが通園していた保育園に水槽ごと預かってもらうことにした。

ところが、引越しの業者も決まり、準備万端整ったところで予期しないことが起きた。風邪を引いた子供の熱さまし用のスポーツドリンクを購入するために出かけた私は、五、六人の屈強の男たちに包囲された。どうやら神奈川県警の刑事たちみたいで、私がUターンすることをどこで聞いたか、「帰る前に、話を聞きたい」というのだ。

私には彼らに話さなければならない理由などあろうはずもなく、事情を説明して、近くのコンビニに向かおうとしたが、通せん坊するのだ。やむをえず自宅にもどったら、まもなく責任者らしき人物から謝罪の電話が入った。この事件以来、表面上は国からの干渉はなくなった。もっとも因島での生活が始まるや、別の国家機関の干渉が待ち受けているのであるが。

新幹線を使い家族四人が実家に着いた翌日、家財道具をすべて乗せた四トントラックが到着した。手際よく荷物は所定の場所に収まった。家内の話では、父は、家財道具が予想を超えて多かったと驚いたそうだ。東京生活のことを父に話して聞かすことは皆無であった。さぞかし、息子の甲斐性のなさを嘆き、四人家族の極貧生活を予想していたのだろう。

(青木忠)

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