因島空襲を考える会 島内の防空壕を調査 正確な記録残したい
掲載号 11年07月09日号
前の記事:“原発と闘う島描く映画「祝の島」DVDが発売”
次の記事: “碁打ち探訪今昔四方山話【18】消えた秀策揮毫の碁盤 百五十年ぶりの里帰り”
第二次世界大戦末期の因島空襲を調べている「因島空襲を考える会」は2日、田熊町において調査を行い3カ所の防空壕跡地を確認した。
防空壕調査は昨年から開始されたが、今年から本格的に進めるという。戦後66年目を迎え、当時の記憶が薄れていくなかで、2、3年をかけて正確な記録を残して行く計画である。
因島には、国の指示でつくられた防空壕だけでも23カ所あると言われている。土生町8、三庄町7、田熊町2、重井町6、である。
他に工場や地域、個人のものを加えれば多数の跡地があると見られている。
土生、三庄、田熊には造船所があり、重井町の深浦・小田浦、大浜町の添川などが軍用地になったという記録もある。