「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【終】

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【終】 君は忠恕の二字に盡く 昭和18年9月、学徒出陣で兵庫県加古川の戦車第19連隊に入営。「寝台戦友」となった司馬さんと橋本さんは翌年4月、満州に渡り下級指揮官の養成所である四平陸軍戦車学校に入り同年12月には見習指官とし...(10/08/28) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【9】

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【9】 君は忠恕の二字に盡く 司馬さんは、弔辞の終りの部分で「君は一国の大臣をつとめる力量がありながら、父母や同胞の面倒を見るため因島を離れず、生涯『忠恕』(ちゅうじょ=真心を尽し他人を思いやる)の二字に尽く。橋本君輝明、君...(10/08/21) 全文 >>
 

司馬遼太郎さんと因島の縁 最初の来因は直木賞受賞の昭和35年

 司馬遼太郎さんが因島の戦友、橋本輝明さんに捧げる弔辞の終章は「宇宙の真理は夫レ輪廻(りんね)のみ。世に在る、在らざるは輪廻の中の仮りの姿にすぎない…」と結んだ。...(10/08/07) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【8】

君は忠恕の二字に盡く 司馬さんの弔辞は終章になります。 ...(10/08/07) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【7】

君は忠恕の二字に盡く  「寝台戦友」の橋本さんに捧げる弔辞に「妻君を一目惚れ、片想いであったことを母親に告げたことで想いをかなえた」というエピソードはいかにも小説家としての司馬さんらしい。そして橋本のおばあちゃんは姉妹そ...(10/07/24) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【6】

君は忠恕の二字に盡く 弔辞は「戦いの末期には、君は中仙道の山中にありき…」と続きます。学徒動員で出征した司馬さんと橋本さんがどうして内地で終戦を迎えたかについては先述で少しふれましたが、その頃のラジオから、こんな歌が...(10/07/17) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【5】

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【5】 君は忠恕の二字に盡く この時代の因島といえば軍需工場に指定されていた因島土生町の日立造船因島工場に約1万人、田熊村の卜部(うらべ)造船に約1000人が働いていた。 ...(10/07/10) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【4】

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【4】 君は忠恕の二字に盡く 日本の近代国家に疑問 学生の徴兵猶予の恩典取り消し、いわゆる文化系学徒動員により入営の日が近づいて「どうせ死ぬのなら」と先輩や悪友に連れられて遊郭へ連れていってもらったという話を聞いたことがあ...(10/07/03) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【3】

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【3】 君は忠恕の二字に盡く 君はよき寝台戦友なりき。我は悪しき寝台戦友として君に多くの負担を掛く。我はあの頃の国家を悦ばず、今なほその時代への憎しみは消えざれども、君はあくまでも忠恕(ちゅうじょ)にして軽々しからず、...(10/06/26) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【2】

学徒出陣の背景  註 司馬遼太郎と因島の橋本輝明との関係を「君と知り合ったのは37年の昔なりき」とあるように、前述の弔辞が読まれたのは昭和55年4月26日のこと。逆算すれば昭和18年の学徒動員の年になる。傘寿を越えた人た...(10/06/19) 全文 >>
 

「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【1】

君とは寝台戦友の仲  作家、司馬遼太郎と因島の故橋本輝昭との縁は、太平洋戦下のさなかの昭和18年(1943)学徒出陣によって奇しくも隣りあわせた戦友というめぐりあわせだった。司馬さんの本名は福田定一で大阪外国語学校。橋本...(10/06/12) 全文 >>
 



リンク元・アクセスランキング