本因坊秀策
小中高生を対象にした第3回本因坊秀策囲碁記念館子ども囲碁大会が1月7日(月)午前9時30分、同記念館で開催される。...(11/12/03)
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幕末の天才棋士で後世になって「碁聖」と仰がれる第十四世本因坊跡目秀策を顕彰する尾道市因島外浦町の囲碁記念館に富山市の現代美術作家高橋りくさんが秀策の妙手として語り草になっている「耳赤の一手」を題材にして描いたという作品...(11/10/29)
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本因坊秀策囲碁記念館(木村修二館長)が9月27日で3周年を迎えたのを記念する第一回本因坊秀策茶会が23日、復元された生家で行なわれた。 ...(11/10/29)
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「昭和の秀策再来」「棋聖(碁のかみさま)」ともいわれる呉清源九段ゆかりの碁盤などの寄賜の申し出があり尾道市教育委員会は27日(月)午前10時から因島外浦町の本因坊秀策囲碁記念館で贈呈式を行う。 ...(11/09/24)
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因島外浦町の本因坊秀策囲碁記念館は10月23日(月)午前9時~午後2時、表千家流の金井宗秀さんの協力で、館内で第一回本因坊秀策茶会を行う。...(11/09/24)
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お城碁十九連勝という幕末の天才棋士で後世になって「碁聖」と仰がれる尾道市因島外浦町出身の本因坊秀策が揮毫した碁盤が尾道市へ寄贈され因島の本因坊秀策囲碁記念館で贈呈式があった。 加納尾道副市長右と島田夫妻 ...(11/06/04)
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プロとアマが対戦することで知られる、第59回本因坊秀策囲碁まつりが7月9日(土)・10日(日)、因島市民会館と芸予文化情報センターなどで行われる。 昨年、因島市民会館で行われた公開対局の様子 ...(11/06/04)
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第48回女流アマ囲碁都市対抗戦尾道大会が10月6日(水)7日(木)の両日、県立びんご運動公園アリーナで開かれる。女性アマ囲碁愛好グループの都道府県対抗戦で約800人の代表・役員が参加する。...(10/09/11)
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10月で3年目を迎える因島外浦町の本因坊秀策囲碁記念館に日本棋院(東京)の対局室「幽玄の間」を再現したセットが6月に展示され子供連れなど来館者の記念撮影で好評のようだ。 ...(10/09/04)
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還暦を機に因島出身で幕末を駆け抜けた天才棋士本因坊跡目秀策の研究をライフワークとして執筆を始め20年。準備期間を含めると30年になるが、この間、雲の上のような人たちにお会いできたことが人生の大きな財産になったようだ。...(10/09/04)
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第58回本因坊秀策囲碁まつり(尾道市囲碁のまちづくり推進協議会主催)は25日、因島土生町の因島市民会館などで開催され、愛好家300余人が参加した。プロ・アマ各8人で争う秀策杯は、蘇耀国八段(日本棋院)=写真左=が2度目...(10/08/07)
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尾道市文化協会因島地区因島文化協会(岡野巧三会長、500人)は創設40年の記念事業として昨年オープンした因島外浦町の本因坊秀策囲碁記念館に「母之教」と題したレリーフが完成したので24日午前11時から同館で贈呈式と除幕式...(10/07/10)
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プロとアマが入り混じって熱戦を繰り広げる、第58回本因坊秀策囲碁まつりが7月24日(土)・25日(日)、因島市民会館と芸予文化情報センターなどで行われる。主催は、尾道市囲碁のまちづくり推進協議会(加納彰会長)。...(10/06/19)
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羊羹御恵下され辱けなく存じ候 安政5年7月2日付(1858)江戸から秀策が義弟島田助五郎にあてた手紙が残っています。前述したように島田助五郎は秀策の妹お信の夫です。お信は天保3年生まれで秀策よりも3歳下。豊田郡本郷町船...(10/05/29)
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安田秀策が幕府へ願い出た本因坊家へ移籍するさいの親類書について、もう少し思惑をめぐらせてみましょう。出生地は前述したように備後国御調郡外浦(びんごのくにみつぎぐんとのうら=現尾道市因島外浦町)と記載されています。現在で...(10/05/15)
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広辞苑による反抗期の説明に「人間の発達過程の節目で周囲のものに反抗的態度を強く示す時期」と書いてあります。それが自我の芽生える3―4歳の頃と自我意識の高まる青年前期で誰もが経験することのようです。 秀策のような天分に...(10/05/08)
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三原藩お抱え棋士 栴檀は双葉より香し 囲碁の天才児として三原藩に抱えられ、藩士寺西右膳に連れられて江戸・上野車坂下の本因坊家の道場に送り込まれたのは天保8年11月。秀策九歳でした。因島の桒原虎次郎改め父方の三原城下西方...(10/05/01)
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技芸にもいたせ天下に聞え候身 秀策を語るにつけ根付から四角四面で謹厳そのものの天才棋士をイメージして関係資料を調べていましたところ「女郎買も稀に参り候」という文言に出会いびっくり仰天。その反面、秀策先生も鬼神でなく人間...(10/04/24)
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女郎買も当地にては付合にて稀に参り候 世は日一日と動乱の渦中に入り安政の大獄から桜田門外の変へと内憂は打ち続きます。外国船の来航も激しくなり長崎、函館、神奈川の貿易開始。横浜港の開港、生麦事件など外交的変革を余儀なくさ...(10/04/17)
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本因坊家は碁界の最高峰とはいっても、幕府から受けていた五十万石二十人扶持の家禄だけでは一門が食べてはいけなかったようです。本所相生町にあった本因坊家には、十二世本因坊丈和名人後妻勢子、十四世本因坊秀和夫妻、跡目秀策夫妻...(10/04/03)
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歳上の弟弟子石谷廣策 石谷廣策(いしがやこうさく)の人物像は折あるごとにふれてきましたが、一口に言って秀策より11歳年長でありながら本因坊家への入門が遅かったこともあって弟弟子の立場でした。そして秀策が生存中は物心両面...(10/03/13)
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第一回本因坊秀策囲碁記念館子ども囲碁大会は20日、尾道市因島外浦町の記念館と同町老人集会所で開かれた。 ...(10/02/27)
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秀策父子のやりとり 囲碁とのかかわりない人物で秀策の書簡に「長尾」の姓が出てくるのでこの項で取りあげましたが、いま少しふれておきましょう。...(10/02/27)
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(前号につづく)「目を明ける」には、自分の石が生きる手段を見つけたとも解釈できます。碁を詠んだ句の中で芭蕉のように碁の手順や手段を詠み込んだ例は珍しく小林一茶は「山寺は碁の秋里は麦の秋」の一句が残っているだけだといわれ...(09/12/19)
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日本棋院の福井正明九段による水谷縫次の人物評は前述の秀策研究者の故樫本清人さんとはちょっと違っています。水谷の生涯はなみだの物語りだというわけです。 少年時代は伊予今治(愛媛県)の神童。本因坊秀策が郷里の安芸因島(広...(09/11/21)
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「逢危須棄(危うきに逢わば、すべからく棄つべし)」―君子危うきに近寄らずということわざがありますが、危険はいつどこからやってくるか分からないものです。君子は危うきに居らず、賢人は危うきを見ず、聖人は危うきに寄らず、とも...(09/10/10)
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本因坊秀策生誕180周年記念・囲碁記念館開館1周年記念特別展が1日、同記念館で始まった。タイトルは「よみがえる本因坊秀策」。来年3月31日まで。午前10時から午後5時。火曜日休館。 ...(09/10/03)
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尾道市内の女性囲碁愛好家が交流を深める女流囲碁大会が9月27日、因島外浦町の本因坊秀策囲碁記念館で開催された。対局は、記念館と復元された秀策の生家で行なわれた。 秀策生家を復元した部屋で対局を楽しむ参加者...(09/10/03)
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「入界宜緩(界に入りては、よろしくかんなるべし)」―ここでいう界は、相手の勢力範囲圏内で、敵陣の勢力圏へ打ちこむ時は穏やかな手を選ぶのが肝要。奇襲戦法で敵陣の界へ飛び込むのはつつしみなさいという戒めで被害を最小限に抑え...(09/10/03)
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秀策・虎次郎ものがたり「神童の目」を上演した、市民劇団尾道テゴー座が8月30日、尾道国際ホテルで創立十周年記念祝賀会を開いた。平谷祐宏尾道市長ら100人が出席した。 ...(09/09/05)
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前述のように京都・日蓮宗寂光寺の僧、日海は後になって本因坊・算砂と呼ばれ、わが国初の本格的なプロ棋士の誕生となるわけです。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人七癖の戦国の権力者に仕え首も腹も切られずに仕えたのですから...(09/09/05)
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幕末の天才棋士、虎次郎―栄斎―秀策が江戸に上り入門したのが上野車坂の本因坊家でした。当時、本因坊家の当主は十二代丈和の時代で囲碁四家(本因坊、井上、林、安井)の元締めを徳川幕府からおおせつかっていた官賜棋所(碁所)の地...(09/08/01)
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わずか一年余で殿様が推挙した囲碁の指導者である竹原宝泉寺住職葆真和尚と肩を並べた桒原虎次郎改め安田栄斎。この上の修業は江戸に上るよりほかはなくなりました。当然のことながら三原城主浅野甲斐守忠敬公を始め栄斎の大成に夢をか...(09/07/25)
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駿馬名伯楽に会う(1) 天下泰平の徳川幕府。国運をゆるがす軍(いくさ)もなく、江戸詰めの諸大名の話題といえば藩内のすぐれた人物、風景や名産品などお国自慢に花を咲かせていたということです。備後地方では春の「サクラ鯛」もそ...(09/06/27)
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尾道人物誌土居咲吾(2) 広島浅野藩に関係の深かった問屋業者、加登灰屋橋本家宛に秀策が書き送った一節に「(前略)長尾浩策先頃参られ候説は留守其の後尋ね申す可く存じ候も其の儀無く御地へ対し申し分もこれなき次第也。然しなが...(09/05/23)
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尾道人物誌土居咲吾(1) 本因坊秀策の生涯について時代を追っての記述をちょっと横道にそれますが、囲碁とはかかわりのない人間関係の描写、考察を述べることをお許し願いたい。...(09/05/16)
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幕末の偉大な棋士、本因坊秀策の甥にあたる因島外浦町の故桒原寅四郎氏が書き遺した「本因坊秀策小伝」によると「秀策の幼名虎次郎といい文政12年5月5日広島県御調郡(みつぎぐん)三浦村大字外之浦に生る」とあるから今年で生誕1...(09/05/09)
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閑話休題 本因坊秀策については重複をいとわず書簡や詩文などについて編集、読者のご迷惑を顧みず思いつくまま記してまいりました。五月五日は秀策が生まれた日ですので、書簡を休憩してエピソードの一端をのぞいてみましょう。...(09/04/25)
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秀策四度目の帰省は、これが最後になるのでは―という虫の知らせがあったのではないかと思われる話題が多く残されているのも不思議です。 なかでも有名なのは、安芸国能美島生れの棋士、石谷広二(当時二段)に書き与えた「囲碁十訣...(09/02/07)
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秀策は本因坊家に請われて20歳という若さで第十四世本因坊秀和の跡目に就きました。以来、御城碁出仕の準備を中心に門下生の指導、相撲でいえば地方巡業にあたる遊歴をしながら囲碁の研究と普及につとめる毎日でした。...(09/01/31)
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NPO法人尾道てごう座(田島美鈴理事長)第13回公演は11日(日)午後2時から尾道駅前のしまなみ交流館テアトルシェルネで行われた。演題は後代碁聖と仰がれる因島出身で幕末の天才棋士本因坊「秀策・虎次郎ものがたり」。 ...(09/01/17)
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秀策は9歳で江戸・本因坊家に入門。34歳という若さで亡くなるまでに因島外浦へ四度帰郷しています。第1回目は天保11年(1840)第2回目弘化3年(1844)第3回目嘉永3年(1850)そして第4回目が安政4年(1857...(09/01/17)
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念願の本因坊秀策の生家と囲碁記念館が2008年9月に完成し、市技・囲碁のセンターになっている。囲碁のまちづくり推進協議会会長の加納彰副市長=写真=に新年の抱負を聞いた。 ...(09/01/01)
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尾道市制110周年と本因坊秀策囲碁記念館開館を記念「第33期棋聖戦第三局尾道対局」は2月4・5日の両日因島土生町、ナティーク城山で開催される。ビッグタイトル戦にはスタッフをはじめ全国から囲碁ファンが来因、秀策生家跡や記...(09/01/01)
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因島外浦町の囲碁記念館前に、おみやげ店「わすれな草」(TEL0845-24-0107)が、オープンした。11月23日の開店以来、来館者の間で関心を呼んでいる。 ...(09/01/01)
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御城碁の当日は、エントリーされた代表棋士たちが明け六つ時(あけむつとき=今の午前6時)江戸時代の大手門御開門と同時に登城、寺社奉行の指図の下に定められた御黒書院において対局が始まります。 書院といえば、日本では書斎の...(08/12/13)
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嘉永7年11月23日附(1854)で江戸の秀策から郷里の尾道港橋本吉兵衛と長右衛門の両者にあてた手紙の中に「当年はお好み碁もこれ無く残念に存ぜられ候」という一節がある。...(08/12/06)
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秀策が幼い頃から終生パトロン的な存在であった尾道の豪商、加登灰屋橋本吉兵衛竹下(ちっか)や故郷因島外浦の父桑原輪三(わぞう)に宛てた手紙の中で公方様(くぼうさま=徳川将軍)のことにふれたものが二通残っています。その文面...(08/11/29)
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NPO法人尾道てごう座(尾道市新高山二丁目、田島美鈴理事長TEL0848-46-3562)は9日午後2時から因島市民会館大ホールで幕末の天才棋士、碁聖・本因坊「秀策・虎次郎ものがたり―神童の目」を上演。約800人の観客...(08/11/15)
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冷たい晩秋の曇空だった9日。観客がひいた因島市民会館大ホールは暖房が入っていなかったにもかかわらず温もりが残っていた。...(08/11/15)
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秀策の書簡を解読していると、父親へは何でも打ち明けている。もっとも、父親宛の手紙は母カメにも見せることを想定していたからでもある。 例えば、安政6年12月(1859)11日付の手紙に「尊書は妻も拝見致しがり申し候間、...(08/11/08)
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NPO法人尾道てごう座(田島美鈴理事長)は、幕末の天才棋士で後世「碁聖」と仰がれる因島出身の本因坊秀策伝―虎次郎ものがたり―「神童の目」を11月9日午後2時から因島市民会館大ホールで公演する。 10月30日に因島市民会...(08/11/01)
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尾道市教育委員会文化振興課内「囲碁のまちづくり推進協議会(TEL0848-25-7366、FAX0848-37-2740)」は9日、因島外浦町にオープンした本因坊秀策記念館見学と、囲碁交流対局、テゴー座公演「秀策・虎次...(08/11/01)
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日本囲碁史のなかで後世「碁聖」の名を冠せられ、本因坊跡目でありながら「本因坊」を名乗って異論をとなえる者がいない秀策の名声。彼が、将軍出座観戦の御城碁で前人未到の十九連勝の記録。碁道に於けるあくなき研究の執念によって定...(08/11/01)
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尾道市因島外浦町にオープンした本因坊秀策囲碁記念館の開館記念として市民劇団尾道テゴー座(尾道市新高山2―263―73、田島美鈴理事長、TEL0848-46-3552)が第13回公演に取り上げる「秀策・虎次郎ものがたり『...(08/10/25)
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NPO法人尾道てごう座(田島美鈴理事長、尾道市新高山2丁目2631-73、TEL0848-46-3552)は、11月9日(日)午後2時から因島市民会館大ホールで、因島が生んだ碁聖・本因坊「秀策・虎次郎ものがたり―神童の...(08/10/18)
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秀策急死による本因坊跡目候補は、自他ともに認めていた秀甫にとっては面白くない。14歳の秀悦のあとに、26歳の自分の出番がやってくるとは思えない。しかし、子供の時から目をかけて育てられた師家への恩義を考えれば出奔するとい...(08/10/18)
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日本の囲碁を地域からと銘打った「囲碁サミット2008」が11日、神奈川県平塚市で行われ、その一環として、インターネットを使った「ジュニア親善囲碁対局」があった。参加したのは、平塚市、埼玉県北本市、長野県大町市、広島県尾...(08/10/11)
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秀策死後の波紋 十四世本因坊跡目の秀策の突然の死が、秀甫の運命を大きく変えることになる。 十四世本因坊秀和は、とり急ぎ跡目を決めなければならない。秀甫は、秀策の死の2年前の万延元年、22歳で六段に進んでいた。秀策とと...(08/10/11)
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因島出身の神童― 秀甫の兄弟子に秀策がいた。文政12年(1825)備後国外之浦(現広島県尾道市)生まれ。秀甫より9歳年長である。秀甫が江戸・上野車坂下の本因坊道場の隣で生まれた前年の天保8年に、瀬戸内海の因島から出府(...(08/10/04)
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幕末の天才棋士で後世に「碁聖」と仰がれる本因坊秀策を顕彰する生家の復元と日本の囲碁歴史文化資料を展示する「本因坊秀策囲碁記念館」(尾道市因島外浦町121-1、TEL0845-24-3715)が完成、9月27日午前9時3...(08/09/27)
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囲碁記念館(一面関連)は、幕末の天才棋士、本因坊秀策(1829-1862)の復元生家78平方メートルと囲碁関連資料館416平方メートルの2棟で構成。事業費は、設計などの経費900万円▽用地費など5300万円▽建設工事費...(08/09/27)
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わが家は貧しく― 閑話休題 このところNHK大河ドラマ「篤姫」と秀策が故郷因島の父に宛てた手紙の文面が重なってくるので「事実は小説よりも奇なり」と興味津津(しんしん)である。 9月21日(日)放送の中で、のちの軍盤奉...(08/09/27)
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本因坊秀策囲碁記念館の開館は27日にせまったが、一足先に報道関係者の見学会が18日、同記念館であった。記念館内部と展示品、隣接する秀策の生家が公開された。建物は3月末に完成していたが、遺品など展示品の準備などに時間を費...(08/09/20)
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因島が全国に向けて発信できる本因坊秀策囲碁記念館が生誕の地である尾道市因島外浦町宮ノ谷に完成、27日オープンする。大正15年(1962)に秀策生家の敷地内に建立された碁盤の台石の上に立つ顕彰碑と遺品は桑原家の子孫が所蔵...(08/09/20)
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閑話休題 前項の秀策が父に宛てた手紙の中で「村瀬弥吉儀剃髪秀甫と改名―」と弟弟子の昇段を喜んでいる行(くだり)がある。しかし、秀甫はなぜか七段に昇段せず、翌年文久元年のお城碁にも参列しなかった。その間の事情について推理...(08/09/13)
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既に当十五日御迎として跡部候御出立相成り申し候。此の御婚礼等相済み候得ば追々世の中も穏かに相成り申す可く哉と諸人祈る処に御座候先は尊報旁々右申し上げ度 草々敬具...(08/09/06)
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3月末に完成した、因島外浦町の本因坊秀策囲碁記念館開館記念式典が9月27日(土)午前9時30分から開催される。完工後、半年をかけて展示品の搬入と陳列などを行っていた。 本因坊秀策に関する展示品の準備が進む記念館...(08/08/30)
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大河ドラマは、和宮降嫁で天璋院篤姫との嫁姑の闘いが大奥の中で加熱してきたが、碁打ち衆は好機到来とばかり喜んだ。...(08/08/30)
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徳川家康の時代から囲碁は幕府によって保護され、教養人の間で親しまれてきた。従って、将軍や家老が囲碁が好きかどうかで囲碁の普及発展の度合いが違ったとも言われている。...(08/08/23)
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市民劇団NPO法人「尾道てごう座」(尾道市新高山二丁目田島美鈴理事長)は劇団発足10周年事業として因島出生の碁聖・本因坊秀策囲碁記念館完成を祝い、偉大な秀策の生涯と囲碁文化を題材とした演劇公演を今秋11月9日因島市民会...(08/08/09)
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徳川十三代将軍家定の死は、安政5年(1858)翌月8月8日に公表された。24歳の空身で落飾(らくしょく=貴人落髪)した篤姫は十四代将軍家茂(いえもち)の母となり大老井伊直弼(いいなおすけ)と対決することになる。世に言う...(08/08/02)
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秀策の短い一生のなかで最も充実した弘化元年(1844)16歳から34四歳という若さで急逝した文久2年(1862)の時代的背景は、現在残されている秀策の書簡から読みとれるように江戸後期から徐々に威信の陰りが徳川幕府に見え...(08/07/26)
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安政元年12月18日(西暦1854)附、備後国鞆港(福山市)の中村吉兵衛にあてた秀策の手紙がある。...(08/07/19)
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閑話休題 男女七歳にして席を同じゆうせず(礼記・内側)という中国の儒者の古礼を集めた説に習い幕末の上級武士の家では年ごろの男女がデートする機会などなかった。そこで、大河ドラマの「篤姫」では今和泉家での於一(篤姫)と喜入...(08/07/12)
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尾道市制110周年記念公演と題して後世「碁聖」として仰がれる幕末の天才棋士「本因坊秀策」をとり上げるNPO法人尾道てごう座(田島美鈴理事長)は6月29日午後2時から秀策研究家の庚午一生さんを招き尾道市迎賓館で第1回勉強...(08/07/05)
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秀策が嘉永七年十一月四日の伊豆相模の国を中心とした大地震の模様と十一月十七日の御城碁において井上因碩六段(松本錦四郎六段)を向先中押勝ちに破った速報など記し故郷の父に送ったものである。...(08/07/05)
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平成の合併と尾道市制110周年記念事業の一つである本因坊秀策囲碁記念館のオープンは9月27日と決まり、展示品の準備が進んでいる。 ...(08/06/28)
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篤姫様が江戸城に入ってから大地震がたび重なった。NHK大河ドラマで篤姫が庭にとび出て「これはなにじゃ…」と狼狽した安政二年十二月の江戸地震。その前年の東海道から近畿地方にかけての津波大地震の様子を郷里の父輪三にあてた秀...(08/06/28)
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将軍が大奥にお渡りになる寝所といえば徳川家のお胤(たね)を宿し子孫をつくるところである。その床入りの寝室に碁盤を持ち込み篤姫が上様(家定)と囲碁を嗜むシーンが6月1、8日の2夜連続で放映された。囲碁といっても「五目並べ...(08/06/21)
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NHKドラマのヒロイン篤姫(宮崎あおい)は囲碁がお好きのようである。対局相手の心を盤面を介して読み取るシーンが何度となくクローズアップされた。大奥に上ってからはそれどころでない。...(08/06/14)
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防虫・防カビ・燻蒸 展示品移設準備 「秀策流」として現代の棋士たちから「碁聖」と仰がれる幕末の天才棋士、本因坊秀策の遺品を遺族の厚意によって一般公開。囲碁の歴史文化、観光に貢献してきた尾道市因島外浦町の秀策生誕の地にあ...(08/05/31)
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NHKの大河ドラマ「風林火山」が16日(日)夜の放映で幕を閉じた。クライマックスは、やはり頼山陽の詩で有名な「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河を過(わた)る…」―詩吟にも歌われ継がれている川中島の壮絶な戦いだった。...(07/12/22)
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おのみち歴史博物館(尾道市久保・電話0848-37-6555)では、尾道の豪商をテーマとした特別展「尾道豪商の世界―加登灰屋を中心に」を、来年1月14日(月)までの予定で開催中である。 ...(07/12/08)
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尾道市囲碁のまちづくり推進協議会(副市長・加納彰会長)の理事会(三宅敬一会長13人)は27日午後1時30分から因島総合支所で開かれ、7月29日因島で開かれた第55回本因坊秀策囲碁まつり=写真=の事業報告のあと今年度事業...(07/09/29)
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囲碁を「市技」に制定している尾道市の因島土生町で7月28・29日、第55回本因坊秀策囲碁まつりが行なわれ、プロ棋士、アマ高段者など愛好家約300人が参加した。クラス別競技大会への参加者は全国的な広がりを見せた。囲碁の盛...(07/08/04)
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広島県内唯一の市と市が合併した尾道と因島。地域経済文化を融合、継承することは難しいとされてきた。なかでも「囲碁文化」という地味な分野の話となればなおさらである。 旧因島市が基幹産業の造船不況でドン底に落ち込んでいた1...(07/07/28)
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尾道市因島外浦町の碁聖本因坊秀策生誕の地に隣接する「本因坊秀策記念館」(仮称)の建設は来年3月末完工、9月オープンを目指しているが、曾祖父が秀策の弟弟子だったという同市瀬戸田町、谷本篤さん(63)から秀策自筆の扇面を寄...(07/07/14)
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囲碁愛好者の悲願だった幕末の偉大な棋士、碁聖本因坊秀策を顕彰する囲碁記念館(仮称)建設工事の起工式が7日午前10時から尾道市因島外浦町の秀策生家跡の隣接用地で行なわれた。...(07/07/07)
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尾道市は5月24日、囲碁の館「本因坊秀策記念館」(仮称)の建設について7月着工、来秋開館を発表した。日本棋院因島支部長、因島囲碁協会会長、尾道市囲碁のまちづくり推進協議会副理事長の村上栄昭さん=写真=に話を聞いた。 ...(07/06/09)
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囲碁を「市技」に制定している尾道市は24日、後世「碁聖」と呼ばれる本因坊秀策(1829~1862)の生誕地である因島外浦町に囲碁の館「本因坊秀策記念館」(仮称)の建設を7月着工、来秋開館予定。 平成の合併協議で引き継が...(07/06/02)
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広島県唯一の市と市が合併した尾道と因島。合併協議のなかで地域文化を融合、継承するのはむずかしいとされてきた。なかでも囲碁文化という地味な分野の話だからなおさらである。旧因島市が誇る幕末の天才棋士本因坊秀策(1829―6...(07/03/10)
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昨年5月6日にNHKBS2で放送された「伝説の碁打ち 本因坊秀策」が3月25日(日)午後1時05分から同2時55分まで教育テレビで再放送されることが決まった。...(07/02/17)
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第54回本因坊秀策囲碁まつりは1月27、28の両日、尾道市因島土生町の市民会館と芸予文化情報センターで全国のアマ・プロ約300人が参加して技量を競い囲碁愛好者の親善を深めた。 ...(07/02/03)
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尾道市は全国にその名を知られる本因坊秀策にあやかり因島外浦町の生誕の地に生家の復元と囲碁資料館を建設する準備を進めている。ここを訪れる囲碁ファンや一般観光客は碁盤形の台石の上に建つ「本因坊秀策碑」をバックに記念写真をと...(06/11/11)
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