メディアの在り方 公憤(おおやけにいきどおる)

掲載号 11年01月01日号

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明けましておめでとうございます。各方面の友人、知人の年賀状やブログによると、先行き不安な世情がつづられている。

正月は冥土への一里塚めでたくもあり、めでたくもなし―というのもあったが、国勢への不安や怒り、中国の極東海域への対応を加筆したものが多かった。メディアが政治、経済、一般社会のできごとを興味本意に取りあげるから国民がふり回されているといえなくもない。

記者時代に「時の内閣(権力者)を批判した記事でないと読者は読んでくれない」と、先輩の指導を受けたことがある。客観的な立場で公平な記事を人間が書けるはずがない。むしろ公憤(おおやけにいきどおる)して書いた方が正しく読者に伝わる。あとは読者の判断にまかせばよいというわけ。

記者の主観で面白おかしく書かれて政治生命を断たれた政治家も少なくないが、火のないところに煙は立たず、とんでもない考えをしている政治家もいる。今年は統一地方選挙の年。選ぶ側の有権者の責任も重い。

(村上幹郎)

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