鳥たちに飽食の冬であるらしく未だたわわに柿の残れる

掲載号 07年12月08日号

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中西 貴子

 今年の秋は、柿や蜜柑類は豊作だったのか、もう十二月の終りだというのに、畑や道端の木には、色づいた柿の実が枝もたわわに残っている。例年であれば、一つ残らず食い尽されているのに、と思いながら、小鳥たちも人間と同じく飽食という満腹感にいるのだろう、と、車を走らせている風景である。

 瀬戸内や島の山畑では、それほどに多く見かけないが、尾道から中国路を抜けて鳥取・島根県に入ると、どこの柿木も枝を撓めるように鈴なりの柿を見る。しかも島方によく見かける山柿、渋柿の類ではなく、甘い富有柿を見かける。山陰は瀬戸内よりも冬がいち早くやって来る。田も畑もいっせいに冬景色になった十二月、枝も折れんばかりの柿の実は、人間の私どもにほっとした安心感をくれる。一と口に実りの秋と言うけれど、穀類も果実の稔りも豊作、不作、凶作とあるが、いずれも人間の手ではどうにもならないものがある。豊富な肥料も、念入りな手入れも大事ではあるが、大自然の恵みなしには、一粒の米穀も果物も手にすることは無理である。一年を通しての恵まれた天候である。夏は暑く、冬は寒い、適当な雨量、日照りを農家に限らず消費者も、もちろん、山の小鳥たちも動物も待ち望んでいる。

 日本中の各町村での故郷まつり、村や町で行われる鎮守の宮の秋祭りの幟り旗にも、家内安全・五穀豊穣が書かれてあるとおりに、小鳥も山のけものたちも食べて余りある程の稔りの秋でありたいと願っている。

 柿やみかん木のてっぺんに木守り柿を一つ二つと残す習慣があるが、これは木に対しての謝礼と言われている。

(文・池田友幸)

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