ふるさとの史跡をたずねて【423】小学校史③尚純舎

小学校史③尚純舎

田熊村では、広島県によって許可された「研幾舎」(田熊村浄土寺)が「尚純舎」に変更になった。この不可思議な出来事は、同地に2箇所以上の私塾があった故に可能であったことであるが、直接の理由は長年(23年間も)寺子屋教育を続けてこられた西田屋13代定兵衛教宗翁が高齢を理由に固辞されたからだと、『田熊町文化財協会資料』(令和6年度)に岡野康氏が記されている。

かくしてもう一つの私塾「尚純舎」が小学舎として設置された。設置されたと言うものの、場所も教師も名前も、すでにあった私塾のものが使われた。前回の重井村の振徳舎については、新たに振徳舎と命名したものだと理解したが、田熊村の例にならえば、重井村善興寺で行われていた寺小屋の名前が振徳舎だったと言うことになるが、詳しいことはわからない。

さて「尚純舎」の教師、村上万(萬)之助(介)氏のことはかつて本連載216回(2021年4月3日発行号掲載)で「久敬舎」の開設者として紹介したので、当然「尚純舎」というのは明治6年に県によって許可された小学舎の新しい名前だと思っていたが、そうではなく既にあった塾の名前だったする考えもある。

この複雑な事情について、『田熊の文化財』第7巻の示唆するところによって述べてみよう。同書には村上萬之介氏自筆の「履歴」(写真・部分)と『弓削町誌』(1349頁)などが掲載されている。

これらによると、萬之介氏は文久3年10月から三原、忠海等に遊学、また小泉村で塾などしており、明治3年8月になって自宅にて開塾している。(これが、「尚純舎」か?)それまで「久敬舎」で教えていたのは弓削の原大岳氏の息子・敬久氏が考えられる。

以上のことから田熊小学校初代の校長村上萬之介氏の在任期間を慶応元年からとするには、萬之介氏の実家(大田熊)にあった「久敬舎」の名目上の塾頭が萬之介氏で、萬之介氏が帰省するまでの教師が原敬久氏だったと考えるのが良いかもしれない。

これら一連の歴史をどう捉えるかによって「尚純舎」が塾の名前を踏襲したものか、小学舎として新たに命名したものか、という解釈も分かれるわけである。

※前回の「村上万之助」は『因島市史』892頁記載の資料による表記。今回の「村上萬ノ介」は自筆「履歴」の表記。

(写真・文 柏原林造)

 

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