ふるさとの史跡をたずねて【216】村上萬之助先生顕彰碑(因島田熊町元田熊小学校跡)
村上萬之助先生顕彰碑(因島田熊町元田熊小学校跡)
因島三庄町の亀井文龍先生を紹介したので、その次は因島田熊町の村上萬之助先生顕彰碑を紹介すべきであろう。幸い田熊小学校の跡地は残っており、そこに行けばその顕彰碑を見ることができる=写真。
その石碑には、「久敬舎の開設者」の文字が見える。その久敬舎については、田熊小学校閉校記念誌の目次の下に
慶応元年四月 久敬舎が開設された これが田熊教育のおこりである
昭和四十一年 田熊小学校創立百周年記念
と書かれた石碑の写真がある。私はそれ以前に浄土寺等で行われた寺子屋教育があるかも知れないと思うのだが、それらは田熊小学校の前身と考えられなかったと言うことであろうか。
しかし前回書いたように、公教育として、明治6年4月に「研幾舎」(田熊村浄土寺)が許可されたわけであるから、それ以前の「久敬舎」は寺子屋であった。そして教師として村上万之助氏が任命されたり、初期の頃には久敬舎が使われたのも、全国的な寺子屋から公教育への転換の傾向とよく似ている。ただ、万之助氏が教師として任命された時には「尚純舎」と校名が変更されている。
以上が、石碑に記された文字と『因島市史』記載の公文書に基づく考察であるが、やや不可解な印象を受ける。特に名称の変更が短期間のうちになされていることは理解しがたい。この問題に関して興味深い見解が『田熊の文化財』第7巻に記されている。まず、豊富な基礎資料の収集に対して敬意を表したい。
公教育の開設の認可がまず地元からの要請に基づくものであったということがわかった。そして、「研幾舎」というのが浄土寺の寺子屋であり、初めはこちらが認可されたのであろう。それが認可後、神主家の久敬舎の方へ移った。そして、久敬舎はお家の事情により「尚純舎」と寺子屋名を変更していた。
だから、研幾舎や亀井先生の寺子屋が始まった時期がわかれば、「田熊教育のおこり」はもっと古いかも知れない。
写真・文 柏原林造
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