因島文学散歩【11】鴻雪爪生誕生地碑(因島中庄町大江)

因島中庄町の公民館一帯は元、中庄小学校があったところで、公民館の前には最近まで幼稚園があった。幼稚園があった頃は開園中か、休日には施錠されていて勝手に入ることができなかったが、その園庭だったところに「鴻雪爪誕生地碑」の石碑がある。ということは鴻雪爪氏がここで生まれたのであるから、この人の親の土地が後に小学校になったということである。

鴻雪爪(おおとりせっそう)のことは、司馬遼太郎さんの小説『歳月』に次のように紹介されている。場所は京都嵐山。木戸孝充らとともに花見をしていた。

「その仲間のひとりに鴻雪爪という奇士がいた。御岳教の祈祷師というような、およそ時勢と無縁の渡世ながら公卿屋敷に出入りすることが多く、自然時勢に慷慨して志士活動をするようになり、幕末風雲のなかを往来し、三条実美や岩倉具視に重んぜられ、木戸ら長州藩士にも一目おかれていた人物である。維新後、岩倉や木戸にすすめられて一時官につかえ、左院の議官などになったが、本来浮世ばなれしたほどに欲得が薄く、すぐやめ、ほどなく神道御岳教の管長になり、明治三十七年、九十一まで生きた。」(司馬遼太郎、『歳月』、講談社文庫、124頁)

こういう奇人の話は、湊かなえさんが何十年か先、歴史小説を書くようになってから、書いて欲しいと思うが、そういうことは当分あるまいし、その頃はこちらも生きてはいないだろうから、こんなことは書いても無駄だ。だが、この石碑から何メートル離れたところで湊かなえさんが生まれたのかは知らないが、冬の日の午後はほぼ同じ時刻に日陰になり、同じ中庄湾に入ってくる東風を吸って育ったのだろうから、気持ちはよく通じるだろう。

ただ違うところは、「島を出たい」と思う前に、「小林の倅も頑張っているのだから、お前も坊主になって頑張ってこい!」と早々に島を出されたことだ。

欲得が少なかったのは中庄村の富豪・竹之内宮地家の次男であった故か。しかし、親にすれば、分家させれば財産は減るのだから、僧籍に入れるのは最良の選択肢であったに違いない。

(文・写真 因島文学散歩の会・柏原林造)

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