ふるさとの史跡をたずねて【417】伝六⑰観音経
伝六⑰観音経
伝六が「観音道一観」と自ら称したことは、観音信仰に深く帰依したということである。観音信仰、すなわち観音さまとは何か、ということは、極論すれば、「般若心経」についで人気の高いお経、「観音経」に書かれていると思えばよい。
多くの経本、すなわち蛇腹本に掲載されており、仏具店に行けば求めることができるが、仏壇の中を調べれば、一つや二つは出て来るかもしれない。一般書としても求めることができる。
一般には『法華経』の25章、「観世音菩薩普門品第二十五」ということになる。25章全体の場合もあるが、多くは章末の詩の部分「観世音菩薩普門品偈」(かんぜおんぼさつふもんぼんげ)の部分がよく唱えられる。
その特徴を一言で言えば、悟りも修行もでてこなくて、ただ「南無観世音菩薩」と唱えれば良いと言うことになる。「般若心経」と対照的で、むしろ「南無阿弥陀仏」と唱える浄土教と形式的には似ていると言える。詳しいことはわからないが、浄土教では「観音経」はあまり唱えられないのではなかろうか。
ただ、「南無阿弥陀仏」は来世往生であるのに対し、「観音経」は現世ご利益を述べたものである。
このような特徴は極めて中国的でかつ道教的だと、福永光司氏は指摘される。(『道教と日本文化』、人文書院)
さて、既に述べたように「攻過自知録」が道教の影響でできたものであったことと合わせて考えると、伝六の思想の中には道教的要素がかなりあるものと思われる。
余談ながら、「道教と道家は違う」と幸田露伴は言う。道家とは老子や荘子のことで、老荘思想とも呼ばれる。ドクダミやアロエを漢方薬だと思っている人は多い。(民間療法というべきだろう)。中国的なものは生活のあらゆるところに浸透している。それも気づかずに。誤解も多い。やはり、道教と道家は違うのだろう。しかし、道家の著作は道教の教典にもなっている。
(写真・文 柏原林造)
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