ふるさとの史跡をたずねて【187】権現宮(因島三庄町二区)

権現宮(因島三庄町二区)

島四国34番種間寺へは三庄町善徳寺にある33番雪蹊寺を出て、切り通しのバス通りを東へ下り、権現池を目指す。ところが百凡山の南東の畑道の下にへんろ専用の道標がある。このことから、バス通りを南へ越えて、百凡山周辺を通るへんろ道がかつてはあったと思われる。百凡山は不思議な山で、東側に山麓と呼ぶには高すぎる位置に、草に覆われた広いなだらかなところがある。そこにも道があったかも知れないが、その道は想像できないので、他のルートを考えると2つある。一つはその広いところより東側で、片山家の墓地周辺を通る小径。もう一つは百凡山の西側、百凡山と百凡池の間を南へ抜ける道。これはどんどん進めば小丸山を通って天狗山へ続く。この道を百凡山の南で東へ曲がり畑道を下る。この二つの小径が出会うあたりに前述の道標がある。ここからは柑橘畑の中を、南東へ下ると権現社に出る。近くにあるため池が権現池である。

種間寺はこの権現社の中にある。権現社は鳥居も狛犬もあって、誰が見ても神社である。因島はもちろん他の地域でも島四国、村四国がお寺の中にあるのはよくあることだが、神社の中にあるのは珍しい。それは明治の神仏分離令以降の世界に生きている我々には当然のことである。だから、この種間寺の違和感は何だろうかと思っていたが、やっとわかった。すなわち「仮住まい」であった。台風で壊れて権現社に同居させてもらっているのである。近くにあったのだろう。

さて、その本家である権現社は鳥居に「権現宮」とあるから石鎚権現かと思ったら、向きからわかるようにそうでなかった。江戸時代も終わりに近い文化の頃(19世紀初め)、熊野の本宮、新宮と那智大社の飛竜権現を三所権現として勧請したものである。そして修験道の道場でもあったそうである。

権現池というように、地域の名となっているということから、地域に開かれたお宮であったことが伺われる。

(写真・文 柏原林造)

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