2009年1月17日 / 最終更新日 : 2009年1月17日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【27】青木昌彦名誉教授への返信 新しい波 戦後政治史を画する60安保闘争を担った学生群像への興味は尽きない。昨年の暮れに東京で開かれた「ブンド創立50周年記念飲み会」に案内を受けたので、取材をかねて出席した。その場で幸運にもブンド書記長であった故島成 […]
2009年1月1日 / 最終更新日 : 2009年1月1日 times おかめはちもく ともあれ造船関連企業は景気持続の新年を 明けましておめでとうございます。昨年はライフワークにしている碁聖・本因坊秀策伝承の殿堂、囲碁記念館と生家復元が因島外浦町にオープン。市民劇団尾道テゴー座による「秀策・虎次郎ものがたり」が市民会館大ホールで公演されるなど […]
2009年1月1日 / 最終更新日 : 2009年1月1日 times せとうち花壇 年末に帰省の息子がガラス拭き見通しのよき正月となる 三島美知子 以前から窓ガラスの汚れが気にはなっていたのだが、明日、明後日は、と思いながらもいつしか年の瀬になってしまった。例年であれば、息子の帰省も大晦日から、元旦にかけての二、三日である。今年は、会社の仕事の関係から […]
2009年1月1日 / 最終更新日 : 2009年1月1日 times おかめはちもく デジタルの時計が秒を刻みゆくこの一秒の持つものは何 三木 啓子 デジタル時計の特徴は時・分・秒針の動きに現れています。特に秒針の動きの「律儀な素早さ」は要注目点です。同じ時・分・秒針という名称でも、日時計の秒針はユックリと動き、見る人は癒されて時の流れを忘れる程です。
2008年12月20日 / 最終更新日 : 2008年12月20日 times おかめはちもく 竹下虎之助氏と因島 経済成長期の広島県知事を3期12年間にわたり務め地方自治一筋に歩んだ竹下虎之助氏(84)が16日死去した。島根県大田市の出身で、松江の記者仲間から「広島県は人材がいないので知事を貸してやっているのだ」と、ひやかされたも […]
2008年12月20日 / 最終更新日 : 2008年12月20日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【26】青木昌彦名誉教授への返信 天を衝く勢い 60年安保での全学連の闘いをみるに、理論と実践の両面において、まさに「天を衝く勢い」を感じる。青木昌彦氏は、前掲の著書で次のように語っている。
2008年12月20日 / 最終更新日 : 2008年12月20日 times せとうち花壇 地球という宇宙の星にわが住みて四畳半の部屋のベッドに眠る 石田冨美子 光年という単位で語られる広大な宇宙と、四畳半の部屋に据えたベッドの狭さの比較から不思議なユーモアを感じます。そのユーモアによれば
2008年12月13日 / 最終更新日 : 2020年4月5日 times おかめはちもく 環境問題を利用した利権 ゴミの分別している住民はバカをみているのか? 同和から福祉問題へ。そして環境問題がいまや誰も逆らえない”錦の御旗”になってきたようだ。ところが、この問題を利用した利権が生まれているという話を耳にする。それが事実とすれば、知らず知らずにゴミの分別に協力している住民はバ […]
2008年12月13日 / 最終更新日 : 2008年12月13日 times せとうち花壇 今すこし若くしあらばと名湯のマップに印す丸かずを増す 有吉 貞子 民放でときどき温泉めぐりの放送をやっている。しかも人里離れた山峡の秘湯と言われるところである。もちろんコマーシャルを含めた、大皿に盛り上げた山や川の珍味。露天風呂に女性二人がゆったりと湯浴みをしている。紅葉 […]
2008年12月13日 / 最終更新日 : 2008年12月13日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【25】青木昌彦名誉教授への返信 学生運動私論(下) 大学において学生が結束してしまえば大学当局は二進も三進も行かない。警官導入でどうにかなるものではない。とりわけ当時の東大駒場には、旧制一高時代以来の伝統で「警察は一歩も入れてはいけない」という警官ア […]
2008年12月6日 / 最終更新日 : 2008年12月6日 times おかめはちもく 産経新聞記者時代の同僚「俵萌子」に捧ぐ この欄で記者時代の知己の追悼記を書くのは、因島と縁があった司馬遼太郎先輩(本名福田定一)についで二人目が11月27日肺炎のため亡くなった女性評論家、俵萌子(77・本名中野萌子)になった。
2008年12月6日 / 最終更新日 : 2008年12月6日 times せとうち花壇 今朝一輪夕べ二輪と九輪の鷺草白く闇に浮かべり 半田ミチエ 『お花や生き物に興味がある人はこの素晴らしい自然の神秘を感じる鷺草を見て誉めてくれ、興味が無い人は自分の隣に咲いていても 目もくれません』とは土屋薬局店主・土屋幸太郎氏の言葉で、氏は更に続けます。
2008年12月6日 / 最終更新日 : 2008年12月6日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【24】青木昌彦名誉教授への返信 学生運動私論(上) 「ふたりの時代」の源流を探索していくと、ふたつの安保闘争の土台となった戦後学生運動とは何であったのか、調べたくなった。しかも、その渦中にあった者の体験談を通して知りたくなった。 青木昌彦氏は、「私 […]
2008年11月29日 / 最終更新日 : 2008年11月29日 times せとうち花壇 紅葉なす山と凪ぎたる海見ゆる日溜り探して弁当開く 河内せい子 この歌の中には、作業は何をしているのか、誰と誰がいるのかと言うことがどこにも書かれてはいないが、歌の前後の関係から、〈これはミカン摘みだ。〉〈夫婦二人がいる。〉の内容である。
2008年11月29日 / 最終更新日 : 2008年11月29日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【23】青木昌彦名誉教授への返信 0歳の戦争体験(下) 最近、因島空襲調査のなかで出会った出来事を通じ、あることに気付いた。それは、学生時代に激しく敢行したアメリカのベトナム戦争反対闘争や安保・沖縄闘争、在日米軍基地撤去闘争が、私の受けた空襲に一矢を報 […]
2008年11月22日 / 最終更新日 : 2008年11月22日 times おかめはちもく 亀井―佐藤陣営の呉越同舟のポスターに首をかしげる 麻生政権は与党内まで不協和音が聞かれ死に態状態になっているが、国会解散年末年始の総選挙は見送られそうだ。
2008年11月22日 / 最終更新日 : 2008年11月22日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【22】青木昌彦名誉教授への返信 0歳の戦争体験(上) 0歳時の戦争体験は経験と言えるのか、私にとって大きなテーマである。わが家が米空軍の空襲を受けたのは、私が生まれて11カ月が経った頃だった。祖母と母とともに全壊した家屋の下敷きになった私は、仮死状態 […]
2008年11月22日 / 最終更新日 : 2008年11月22日 times せとうち花壇 亥の子まで炬燵の火入れ待つとするスイッチポンの電器なるとも 白須 淑子 一首を目にして、炬燵の暖かさを待ちわびた少年期を懐かしみました。「炬燵は亥の子から」と聞かされたが、それが何月何日であるかは確定できなかったのです。当時は何事につけ、是非を問う前から慣例をよしとしていた様で […]
2008年11月15日 / 最終更新日 : 2019年3月2日 times おかめはちもく 芝居「秀策・虎次郎物語」因島公演を終えて 冷たい晩秋の曇空だった9日。観客がひいた因島市民会館大ホールは暖房が入っていなかったにもかかわらず温もりが残っていた。 昨年秋のこと、NPO法人尾道てごう座の田島美鈴さんから「碁聖・本因坊秀策」をお芝居にしたいと相談があ […]
2008年11月15日 / 最終更新日 : 2008年11月15日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【21】青木昌彦名誉教授への返信 源流を訪ねて(4) 私は出身の広島大学の60年安保闘争についてほとんど知らない。ただ文学部の学生で、当時の全学連中央執行委員であった千葉喬之氏から強い影響を受けたことは今でも忘れることができない。
2008年11月15日 / 最終更新日 : 2008年11月15日 times せとうち花壇 手押車に子犬三匹顔出して紅葉より先に被写体とせり 岡野 幸子 作者は、多くの人に愛用されているデジタルカメラを手に、紅葉狩りに来たところである。また、車を降りて紅葉名所の入口付近にさしかかった所である。
2008年11月8日 / 最終更新日 : 2008年11月8日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【20】青木昌彦名誉教授への返信 源流を訪ねて(3) 今年の7月5日に行なわれた「私の履歴書 人生越境ゲーム」出版祝賀会で20数年ぶりに再会し、その後何回かのメールを頂いた方にお礼を込めて、私のまとめた「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」を送ったところ、そ […]
2008年11月8日 / 最終更新日 : 2008年11月8日 times おかめはちもく 朝ドラ「だんだん」松枝40年前と変わらぬ風景 NHK朝の連ドラ「だんだん(ありがとう)」の松江・穴道湖ロケは、40年前と変らぬ風景や人情を懐かしがらせてくれる。大阪本社をふり出しの転勤地のうちもう一度行ってみたいと思うのが神々の宿る出雲地方である。
2008年11月8日 / 最終更新日 : 2008年11月8日 times せとうち花壇 幼な時海辺の土手に芒ゆれ姉妹と歌いし夕焼けの歌 渡辺スズ子 この作品は、先人が「山青く水清し」と詠み歌った昔むかしの郷土を思い浮かばせてくれます。こうした時、『こどな』(子供心を忘れない大人)は、昭和二十年代の情景を思い出します。
2008年11月1日 / 最終更新日 : 2008年11月1日 times せとうち花壇 何事も相談に行く三島家の年長者逝きわれの番来る 三島美知子 高齢にもめげずに、ずっと私たちの相談ごとにのってくれた人、頼み甲斐のある人であった。何でも、うんそうか、こうしたら、と、やんわりと決めたり、アドバイスをしてくれていた。もちろんこの歌は、亡くなられた人を心か […]
2008年11月1日 / 最終更新日 : 2008年11月1日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【19】青木昌彦名誉教授への返信 源流を訪ねて2 青木昌彦氏は1938年(昭和13)、名古屋で生まれ東京に移り、その後神奈川県湘南の鵠沼や片瀬で育った。太平洋戦争勃発は三歳半のときである。空襲がはじまると、母や叔母たちと長野県に疎開した。敗戦のことを次 […]
2008年10月25日 / 最終更新日 : 2008年10月25日 times おかめはちもく 衆院選は年明け以降?久しぶりにこわもての亀井節 政治の世界は生き物で一寸先が分からないが、衆院選の時期をめぐり年明け以降に先送りされる公算が強まってきた。
2008年10月25日 / 最終更新日 : 2008年10月25日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【18】青木昌彦名誉教授への返信 源流を訪ねて 一 10月19日の日曜日、私は因島椋浦町にある艮神社・秋の大祭のなかにいた。青木昌彦氏と出会ってからもう1年が過ぎたのだ。
2008年10月25日 / 最終更新日 : 2008年10月25日 times せとうち花壇 「今晩は」半年ぶりに来し男孫声変りして言葉少なし 橋本喜代子 ある夜、「今晩は」と言って少年Aが作者を訪ねました。おばあちゃん子だった少年Aは、自分でも扱いかねている伸び盛りの体を壁際に寄せて座りました。
2008年10月18日 / 最終更新日 : 2008年10月18日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【17】青木昌彦名誉教授への返信 伝説の60年安保 下 最近、「60年安保のころ何歳だった」と家内に尋ねたところ、「10歳で小学校5年かなあ、アンポハンタイ、アンポハンタイと言って遊んでいたことを覚えている」という返事がもどってきた。当時、彼女は埼玉県 […]