「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【終】終章

人生の本当の始まり―昭和20年7月28日に舞い戻ることしかないのである。そうすることで、真実のおのれを発見し、人生をまっとうできるのである。

生まれて間もないころの空襲体験を隠し、忘れ去る選択肢もあったかもしれない。しかし私の場合は、その体験への自覚が生きていく原動力になったようだ。

今なおも納得がいかないのである。わが故郷が連合軍の攻撃に何故さらされなければならなかったのか。国は降伏したが少なくとも私はそうではないのである。決着がついていないからこそ懸命に真相を調べてきた。

小学校四年で初めて知らされたのだが、その事実は自己の確立に大きな意味を持った。小学校の熱く燃え盛る石炭ストーブのふたにマッチの粉をふりかけ微かな爆発をつくりだす「空襲遊び」に興じた孤独な喜び。こうした想いは少年期においては内面深く潜行するのであるが、やがて公明正大に顕在化する。

成長し大学生になった私は、再びアメリカと対決することになった。ベトナムに侵攻し、残虐行為をやめようとしないアメリカに対して堂々と闘いを挑んだ。もしかしたら私を爆撃したアメリカと、ベトナムの民衆に襲いかかる彼らが二重写しになったのかしれない。

学生運動という修羅場のなかで私は自らを打ち鍛え、隠れた能力を開花させた。いっそう抵抗の刃を研ぎ澄ましたのである。

高校を卒業して島を離れて30年近くが経ったころ、やり残した大切なものを追い求めるかのように故郷に帰ってきた。その行為は正解だった。そこには、おのれは何者なのか、何故おのれがおのれとして存在しうるのか、それらを解きほぐす秘密があったのだ。

私は幼くして死別した生母と祖母との邂逅を実感した。ふたりの実存を感じないまま生きてきた者にとってそれが、どれだけ歓喜溢れることであったであろう。得体もしれない空しさと不安定さに揺れる心をどれほどそれは癒したことであろう。

おそまきながら私は、誕生して間もないころのふるさとが戦場であったことを知った。耳を疑うほどの多くの犠牲者が出たのである。しかも、その事実は決して受動的に教わったのではない。封印された歴史のふたをこじ開けて自らつかみとったのである。

沖縄から疎開してきた仲宗根一家の受難ほど私に衝撃を与えたものはない。母と子供の命が一瞬にして奪われたのである。因島空襲最大の悲劇である。

ふるさとで沖縄のことを考え、沖縄との繋がりを意識できるようになったことは非常に意義深い。そのことで瀬戸内海の島における戦争の持つ意味の深さと広さを理解できるようになったのである。

こうして私は人生の終りが迫りつつあるなかで、ギアチェンジすることに成功したようだ。今何をなすべきか、課題がいっそう鮮明になったと言えよう。

まずもって生きて生きて生き抜くことだ。私は空襲の子である。多くの犠牲者に恥じないような人生を最後まで送ることである。これまで空襲にだけは負けたくないの一心で生きてきたのである。いいかげんな、歪んだ生き方は私の敗北である。一生をかけて空襲への反撃に挑む姿勢は変えようがない。

(完)

(青木忠)

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