時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【13】秀甫の運命(その2)

わが家は貧しく―
 閑話休題 このところNHK大河ドラマ「篤姫」と秀策が故郷因島の父に宛てた手紙の文面が重なってくるので「事実は小説よりも奇なり」と興味津津(しんしん)である。
 9月21日(日)放送の中で、のちの軍盤奉行勝海舟のもとへ坂本竜馬がやってくる。勝の開国論は海軍をつくらなくてはならないと熱く語り、公方様(家茂将軍)ご上洛の折にも、軍艦を使っていただこうと思っている。この話に竜馬は腰を抜かしそうになる。
 それ以上にびっくりしたのは天璋院篤姫。勝を呼び出し「海は敵国の軍艦もいるし危ないではないか。陸路にせよ」と迫った。そのあげく、どうしても海というのなら「この私と囲碁の勝負で決めようではないか」というシーンがあったが、真偽のほうはどうあれ迫力のある演技であった。
 このころの秀策の手紙によると「和宮様は囲碁にご理解のある皇族の出身で、公方様(家茂将軍)は囲碁好きであることから棋界にはずみがつくであろう」と、期待を寄せる文面がずいしょにうかがえる。だが、幕末の京の治安は悪化の一途をたどっていった。


 話が横道にそれたが本題の秀甫の運命「わが家は貧しくて―」にもどることにしよう。
 村瀬弥吉、後の十八世本因坊秀甫は11歳で初段。14歳の時、本因坊家の内弟子になったというから、それまでは家から通っていたことになる。住み込みになってからのことを囲碁史にくわしい「坐隠談叢」はこう書いている。
 家より小遣を贈り来る事なければ、交際も出来ず、幼心に只管謙譲(しかんけんじょう=ひたすらへりくだる)を旨とし、厳寒酷暑の候を問はず、骨身を措まず立働き、朝には鶏鳴にして起き出で、夜は他生の就床後尚復習に余念なく、蘭更に及ぶを常とせり。また師に伴はれて遠きに出づれば、草鞋(わらじ)を穿(うがつ=穴をあける)ち、行李(こうり)を担ひて輿に随ひ、旅館に在りては来訪の応接より衣服の出入に至るまで、師の起臥一切を助け、若し寸刻だにも余裕あれば、勉学復習を怠らず。之を以て丈策、秀和は切愛措かず、陽に陰に誘捜(ゆうえき=教え導く)指導に取り力(つと)めたり―とある。
 本因坊十四世秀和や跡目秀策らが秀甫を可愛がり、秀甫も師の身の回りの世話をしながら一生懸命碁の勉強をしていた様子がよく分かる。この様子からは、後年になって秀甫が秀和に不満を持って本因坊家を飛び出す事態が起きることは、想像もつかなかった。
つづく
(庚午一生)

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