時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【7】NHK大河ドラマ「篤姫」と囲碁(その七)

 秀策の短い一生のなかで最も充実した弘化元年(1844)16歳から34四歳という若さで急逝した文久2年(1862)の時代的背景は、現在残されている秀策の書簡から読みとれるように江戸後期から徐々に威信の陰りが徳川幕府に見えはじめ異国船の来航で開国か攘夷(じょうい=外国人を追い払う)かで日本国中が大揺れしていた時代でした。

 「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん)たった四はいで夜もねむれず」

 嘉永6年(1853)ともいえば秀策24歳。七段の免許を受け御城碁19連勝に向け快進撃中のできごとです。浦賀(神奈川県横須賀市)にアメリカのペリー艦隊が来航、民衆が徳川幕府のうろたえようをあてこすった落首(落書)が興味深い。「上喜撰」とは、当時の高級茶の銘柄。お茶にカフェインが含まれていることから夜眠れなくなることがある。そのお茶の銘柄と夜も眠れないほど不安で恐ろしい蒸気船(黒船)とをかけたところが滑稽で皮肉たっぷりのところが江戸町民にうけた。
 徳川幕府の鎖国政策の中で安眠をむさぼっていた日本は、この一件で眠りから覚された。江戸市中は、今にも異人が攻め寄せてくるかのような噂が飛び交い、幕府はあわてふためき諸藩は兵力を備えるのに大わらわ。幕府の庇護を受けていた囲碁衆も動揺、御城碁中止という年も増えてきた。
 異国船は、アメリカだけでなく、オランダ、ロシア、イギリスからやって来て開国を迫っていた。時の老中首座は備後国福山十万石の藩主、阿部正弘。27歳から江戸詰め家老職を務め首座といえば現代の総理大臣である。鎖国を開くか、拒否するかという重大な難問に直面、ことの重大さから幕府の一存では決めかねないとして諸藩をはじめ京都の公家(くげ)学識者、一般庶民にいたる全国の意見を募った。いま風にいえば開かれた政治手法で議論百出の末、日米和親条約を結んだ。
 阿部老中は伊勢守といい美男のイケメン。大奥の女中たちは伊勢さま、伊勢さまと呼んで人気があった。特に篤姫は義父島津斉彬(なりあきら)との親交があつかったことから信頼もしていた。だが、老中阿部伊勢守は安政4年6月17日、39歳という若さでの急逝。反対派の陰謀と思える変死説は「16歳の側室を愛し過ぎ、頬はこけ、衰弱死だ」と陰口をいう人もいたが、死因は腎虚(じんきょ)でなく今で言う肝臓ガンであったという説の方を信用したい。
 「16歳の側室を愛し、死の少し前まで昼間から寝室で戯れていたそうで、奥医師からそのための薬をもらっていたと申します…」という表方の噂のくだりは、病の床にあった伊勢守を一日中介護していた側室おとよの仲をゴシップに仕立てたという説もうなづける。
(庚午一生)

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