「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【16】第三章 呼び戻されて

清子は「日記」の七月三日、石川啄木を歌っている。

啄木の歌 懐かしくなりにけり
一つひとつの うなづかるれば

清子と啄木。女学生のころからファンだったのだろうか。私は「一握の砂・悲しき玩具」(新潮文庫)を買い求めた。
その裏表紙には次のように記されている。

―啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木…。

清子は自らの断崖絶壁の境遇と啄木の歌風とを重ね合わせたのか。私は清子の人間像に強い興味を持った。

清子の人生に思い馳せてみる。恵まれた幼児期から思春期。昭和の激動の下での結婚と出産と育児。そして戦後の混乱期での不本意な死。清子は何を想ったのか。

「日記」の七月二日、次の場面が出てくる。

絵本をみていた次姉が、「母ちゃんバナナはどんなにして食べてどんな味がするのかしら」と尋ねた。

清子は目がしらを熱くし、願うのである。

「自分の幼き頃の惠まれた食生活が思はれて…いとほしい子供達よ 物質には惠まれなくとも健やかに心身共に素直に育っておくれ」

確かに彼女は恵まれた環境のなかで育ったようだ。

昨年秋、父の遺品を整理していたところ清子のアルバムが二冊出てきた。一冊には松本清子の頭文字、K、Mが黒く刻印されている。その写真の大半は県立尾道高等女学校時代のもので、幼児期や結婚式などのものもある。その多いさに目を見張った。その枚数もそうだが、いずれの写真も生活の豊かさを伺わせるものばかりである。

女学校時代の五枚の写真に笑顔の清子を発見した。実に可憐である。当時、女学校時代の寮に寄宿していたのであろうか。一枚の集団写真に「セームルームの姉妹 笑いませう」との説明が付いている。「セームルーム」とは同部屋という意味か。許されるならずっと見つめていたい写真である。

成人した後の写真は少ない。それには時代の様相が反映しているのだろう。幸せな幼児期と思春期。その乙女の清子は果たしてやがて訪れる悲しい人生の結末をどこまで予感しただろうか。

「日記」を繰り返し繰り返し読み込むことで清子が私の内面に住みつき、突然動き始めた。私は自分がまぎれもなく清子の子であることを自覚し、彼女と会話を交わすことができるようになった。

こうして私は、人生を通じて感じつづけてきた不安の正体を突き止め、その除去に成功した。

私を悩ませてきたぬぐい難い感覚があった。自分は生きているのか死んでいるのか――要するに生きている実感が乏しいのである。言い換えれば、容易に死を願望してしまうのである。

きっと清子に言って欲しかったに違いない。

「あなたは生きているのよ。そしてこれからも生きて行くのよ」

「日記」はそう書いているように思えた。

(青木忠)

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