土生小に保存されてきた 昭和20年度の学校日誌 戦時下の教師の営み綴る
尾道市立土生小学校は今年の3月末に142年の歴史を閉じようとしている。
その日が刻一刻と迫る1月5日、学校に大切に保存されていた「昭和二十年度日誌 土生國民學校」=写真=を読むことができた。
10年以上前になるが、この「日誌」の存在を同校の卒業生から教えられた。それ以来、それを読むことが私の念願となった。そしてこのたび、学校側の配慮でそれがかなった。
日誌には、昭和20年4月1日から昭和21年4月1日までの学校で起きた基本的事項が、一日も休むことなく記されている。その時期は村上栄校長である。
私がページを開く前に持った感慨は、「よくぞ70年もの前の日誌が保存されていたものだ」というものでそれを保存しつづけてきた土生小学校の歴史と伝統の奥深さを痛感した。
日誌の時期は、大戦末期から終戦直後である。土生町や三庄町を中心に因島は激しい空襲にさらされた。時代を反映して、最初の日である昭和20年4月1日には次のような記述がある。
「入学式 防空避難壕掘り 警戒警報一回10時45分~11時半 二回1時20分~1時40分」
警戒警報ないしは空襲警報が記された日を数えてみた。
直前の3月19日に日立造船土生工場への空襲があった4月は、12日。5月は23日、6月は17日。28日に大空襲があった7月は、24日である。終戦を迎える8月は、11日。
空襲に関係する記述のある日もある。
5月8日「児童帰宅せしむ」、7月28日「学校休日ス」、8月7日「児童二回学校ニ登校スルモ警戒警報発令ノ為授業行ハズ」、8月8日「警報発令ノタメ授業ヲ行ハズ」、8月9日「警報発令ノタメ一時間授業ヲナス」。
当時の教師たちが、児童と学校を守るためにどれだけ苦心したか、日誌の行間から浮かび上がってくる。小学校の原点を見る想いがした。
小学校の歴史は、同時に地域の歴史でもある。5月6日の日誌に「暁一六七六隊ニ外運動場使用許可」とある。
土生小学校は4月1日、因島南小学校として再出発する。歴史的な「学校日誌」も新しい学校の財産となることであろう。
(青木忠)
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