空襲の子Ⅱ【56】十年間の調査報告 31年前の新聞(3)

 31年前の中国新聞因島支局の記事を読み、そのころのことに想いを巡らせているうちに、ないものねだりをしていることに気付いた。そもそも広島市中心の新聞に因島空襲の取材をいささかも期待してはならないのだ。彼らがそれをするはずがない。したとしても、空襲の調査をしている私の言動を記事にするくらいだ。


 ところが、「31年前の新聞」の項目を記しているうちに、思いがけない結論に達した。私自身が「空襲の子」としての自覚にもっと早く目覚めていれば空襲の調査は、現在とはまったく違った様相を示しただろう、ということである。もしかしたら私は、その真相に迫る絶好のチャンスを何回も逸していたのではないか。この経過を丁寧にたどってみたい。
 私が空襲で死にかけたことを知ったのは、小学校の4年生のころである。校長をしていた父から学校の誕生会で突然告げられた。それ以来、私の内面に「他と違った特別の子」という意識が芽生え、それが様々なかたちで自らの人生の歩みに反映したようだ。
 中学校から高校時代は、姉などに「うちは空襲でやられて貧乏になった」という話を聞きはしたが、関心は空襲へとは向わなかった。野球と受験勉強に明け暮れた6年間だった。振り返ってみるに、これが大失敗の始まりであった。空襲を受けたという重みに耐えかねて、夢中になれる別のものに逃げたのかもしれない。
 最近、親族のひとりと話をしていて、私が何故こうした少年期を過ごすことになったのか、その原因に気付いた。自分史的にも時代史的にも大切な問題と思うが、それの記述は稿を改めたい。
 私が自らの思いのたけを誰に遠慮することなく吐き出す時がやってきた。広島大2年生の秋のことである。戦争や原爆への問題意識を開花させ、学生運動という自由奔放な大学生活を始めたのだ。第二世界大戦・太平洋戦争を繰り返させないために、何をなすべきか。それが学生生活最大のテーマになった。
 舞台はやがて首都東京に移るのであるが、私は圧倒的な発言の機会と場所を得た。だがしかし不思議なことに、因島空襲すなわち私の戦争体験はすっぽりと抜け落ちていた。他人の戦争体験に関心を示し、戦禍に苦しむ多くの世界の人々に想いを馳せたにもかかわらず、である。生まれ故郷のことを忘れたわけではない。人並み以上の郷土意識に燃えていたはずだった。
 私は22歳にして全国的出版社から共著で出版する機会を得た。そして都内有力書店でベストセラーの売れ行きを示すという栄誉も受けた。「現代用語の基礎知識」や「新語・流行語大賞」で知られる自由国民社が「全学連は何を考えるか」を新書版で出したのである。その「まえがき」に私は次のように書いた。

―10・8の羽田闘争の直後、あらゆる新聞雑誌の類が、「暴徒全学連」をわめきたてている時、自由国民社から提案されたこの本の企画は、こうした暴徒宣伝に抗して全学連の生の姿を広範な市民に伝えるというものであった。われわれは佐世保ではじめて数万の市民と接したが、圧倒的多数の未知の人々と接し、語ることに慣れていない。そこで編集者の方々の助力を得て、初めてその試みを行ったものである。

 しかし、こうしたまたとない機会を与えられたにもかかわらず、わが戦争、因島での戦争体験を一言も語っていない。望郷の念が薄かったわけではない。この本の出版に際し因島を意識しないわけにはいかなかった。巻末の「著者経歴」に「1944年広島県因島に生まれる」と書き入れるのに思わず力が入ったことを懐かしく思い出す。
(青木忠)

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