ふるさとの史跡をたずねて【178】秋葉社・愛宕社(因島重井町白滝山中腹)

秋葉社(あきばしゃ)・愛宕社(あたごしゃ)(因島重井町白滝山中腹)

またまた白滝山中腹の島四国八栗寺のところに話を戻す。八栗寺のお堂の前には石でできた小祠が3基あり、下から「愛宕地蔵菩薩」「道了大権現」「秋葉大権現」(写真)が祀られている。

京都の愛宕神社は、話題にするには時期として少し早いが、麒麟さんが本能寺を攻めたとき、吉凶を占ったところだし、「時は今天が下しる五月哉」という連歌(愛宕百韻)を詠んだところでもある。しかし、忘れてはならないのは、ここは火の用心の神様が祀られている。

また、東京の秋葉原は、最近ではAKB48、ちょっと前は爆買い、その前はつくばエクスプレスと、話題にこと欠かないところだが、かつてラジオ少年であった私にとっては眷恋(けんれん)の地であった。さらにそれよりも古くは、明治2年に火除地という空き地に江戸城から鎮火社が勧請された。鎮火社には秋葉大権現を祀っていたので、この火除地を「秋葉の原」、「秋葉っ原」と呼んだことから秋葉原の地名ができた。だから、ここを重井の秋葉原、あるいは因島の秋葉原と呼んでもおかしくはない。

すなわち、愛宕神社も秋葉神社も防火、火除けの神様なのである。それで、ここが椋浦町だったら、「大火伝説」は本当で、大火の後建てられたのでしょう、と書けばいい。しかし、ここは重井町で、重井町には大火伝説は存在しない。

ここで、我々の遠い先祖に思いを巡らしてみよう。あるサルの集団で、一匹のサルが後ろ足で立った。「サルまね」というように真似をするのが本能だから、同じことをする仲間が増えた。やがて、手持ち無沙汰になった前足で、石ころや木の枝を使うようになる。すなわち道具の利用だ。でもまだサルである。やがて、勇気があるというか、風変わりというか、火を恐れないものが出てきて、使うようになった。もうこうなると、サルというよりもヒトと呼ぶべきであろう。

以来、人類は火とともにあった。特に我が国では年間を通して湿度が高く、住居は木造住宅だ。その中での火の使用であったから、常に火災の危険はあった。守り神が必要だ。「火の用心」の護符は、修験者によって配られることが多かったのではないかと思う。

(写真・文 柏原林造)

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