空襲の子Ⅱ【29】十年間の調査報告 防空壕の今(9)

 空襲調査の当初から、奇妙な事実に気付いた。同じ因島に当時住んでいた人のなかでも、空襲の事実認識にバラつきがあるということである。


 土生町の日立造船因島工場への空襲を知っている人でも、三庄町への同じ空襲を知らなかったり、その逆の場合もあった。三庄町内部でも空襲現場から離れると、その事実を知らない人がいた。中庄町や重井町などの因島北部の住民には、土生や三庄など因島南部での空襲の事実が伝わってないように思えた。
 これには様々な理由が考えられうるが、その有力なひとつは、因島空襲がいっさい報道されなかったということである。新聞全紙とNHKとも報道しなかった。
 当時、空襲の事実は報道し難かったのか。否、その反対である。その事実を三つほど示してみよう。
 一つは8月8日の福山空襲についてである。「広島県戦災史」の福山空襲のページに「朝日新聞」の引用がある。
―B29約60機は8日21時半頃より約1時間にわたり単機または少数機ごとに四国東南端より侵入…福山付近を焼夷弾攻撃ののち南進、23時頃より逐次四国南端を経て南方洋上に脱去した。(『朝日新聞』昭和20年8月10日)
 昭和20年6月22日の岡山県の水島空襲の場合はどうであろうか。岡山県警防課の発表によると、犠牲者は、死者11人、重傷者11人、軽傷者35人である。現在の山陽新聞である「合同新聞」は翌23日、この事実を一面で大きくとりあげている。「水島の戦災」(倉敷市)から引用して、見出しのみを記してみよう。
―B29中國地區へ大擧來襲 三方面から360機 都市 軍需工場へ投彈 近畿へも侵入 撃墜破26機 呉軍港へも180機 急速に建物疎開 強化せよ・防空態勢 嚴戒要す岡山・広島 焼夷猛爆の公算大
 山口県下関市の防長新聞は、昭和28年7月28日の一面で、前日の徳山空襲を報じている。「写真が語る 山口県の空襲」(工藤洋三著)より。
―大型60機で來襲 徳山市を燒爆攻撃 羽仁市長壮烈な戰死(顔写真アリ) 引間市醫師會長戰死 救援に万全 工場の被害は輕い 逞しく立ち上る工都
 水島の合同新聞、徳山の防長新聞を見るかぎり、空襲についての積極的な報道姿勢が伺える。被害が軽微であることを伝え、戦意高揚と防空態勢の強化を呼びかけているように思える。空襲の報道それ自身が禁圧されていたのではなく、逆に奨励されていたのではなかろうか。
 ラジオ放送のNHKは、因島空襲を報道したのであろうか。空襲警報を放送しただけであったようだ。
 このように見ると、広島県下のすべての報道機関が因島空襲の報道をしなかった理由が、分からなくなってしまう。それぞれの報道機関において検証していただくしかないであろう。しかし、その動きは皆無である。その作業抜きに突然、因島空襲の報道が始まった。
 2002年7月24日、中国新聞は因島空襲に関係する記事を書いた。NHKは2005年7月14日、呉、福山と同格で因島空襲を特集した。しかし、そのいずれも、私がすべての情報と便宜を提供したもので、報道機関の独自の調査はほとんどされなかった。
 不思議なことにすべての報道機関は、それぞれの責任において因島空襲の調査を、今尚しようとしない。私からの情報に依存し、自分たちで取捨選択し、都合の良い日に報道するという、ご都合主義はもはや通用しないのではないだろうか。そうした時代は去ったのである。
(青木忠)

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