ふるさとの史跡をたずねて【175】伝六墓(因島重井町白滝山中腹)

伝六墓(因島重井町白滝山中腹)

白滝山中腹にある伝六墓所のある小広場は地元では「伝六さん」と呼ばれていた。だから、ここの地名は「通称墓所」ではなく、正式名称「墓所」で「通称伝六さん」なのである。

ここには、かつては小さな建物があった。墓守の風習について私は知らないので、井上靖さんの小説『孔子』で想像するだけであるが、偉人には弟子の何人かが死後何年か墓の管理をしたのであろうか。数年はここで、その後頂上に住み、堂守と呼ばれていた。何代も続き、その堂守の何人かの墓もここにある。(写真後方)

伝六の死については次のような曖昧な話がつきまとう。

  1. 百姓一揆の疑いで広島藩に呼びだされた。
  2. 無罪放免されたが、毒を盛られて帰された。(あるいは帰郷後毒を盛られた)。

百姓一揆と宗教活動の区別がつかないような役人(武士)を抱えていたら、浅野広島藩が幕末までもたなかっただろう。伊予大島では島四国八十八箇所を作っただけで罰せられた時代である。処罰し白滝山石仏工事を中止させることは、その気があれば簡単にできたことであろう。

一流のガイドは、こういう話はしない。そうでないガイドは時間を持て余すのか、こういう話をしたがる。(私は一流になれないので、ガイドなど極力お断りしている)。

こういう噂話などを書く場合はそれを信じているのか、信じてないのか一言付け加えておくべきであろう。それの書けない、無署名のパンフレットや看板にはそのような噂話など書かないことだ。

思うに、ドラマや映画を見ていると、一部の英雄と多くの悪人が主役で、また遅れた時代だから、殺された人の方が偉いと思いがちである。しかし、主役になることのない、その時代の法律を守り、日々営々と生活している普通の人たちによって歴史は作られてきたことを忘れてはならない。

虚心になって考えればよいことである。『碧巌録(へきがんろく)』に一盲引衆盲(一盲衆盲を引く)と戒めてあるが、難しいことである。

(写真・文 柏原林造)

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