ふるさとの史跡をたずねて【137】土地寄附碑(因島重井町宮の上)

 

深浦新開が陸軍の軍用地として撤収された時、そこにあった因島四国八十八ケ所のうち87番長尾寺と88番大窪寺が現在地に強制的に移転させられたと書いたが、元の場所どころか、そのことを知っている方に、未だにお目にかかっていない。だから、何か確実な証拠がほしい。前に書いた、86番志度寺と長尾寺が近すぎるというのでは、証拠にならない。また、結願寺大窪寺が海岸近くにあるべきだというのも、私の個人的な見解に過ぎず、現に本四国では山奥にあるのだから、それに倣えば悪くはない、と言える。だからこの件は半信半疑のまま棚上げしておこうと思っていた。

ところが、ふと目に入った石柱には、まことに興味深いことが書かれていた。それは重井町宮の上の88番大窪寺のお堂の前の石柱である。そこには「昭和十六年三月吉日 土地寄附大出半七」と彫られていた。よく知られているように因島四国八十八ケ所は明治45年に作られた。場所によっては多少の相違はあろうが、ほぼ同じ頃に作られたと考えてよい。また、大窪寺の土地はそれまで借りており、昭和十六年になって土地所有者からにわかに寄贈されたと考えるのも不自然であろうから、昭和16年に移転したと考えるのが自然である。

よって、軍用地がらみの移転の話は事実と考えられる。

さて、伝統行事と呼ばれるものには次のふたつのパターンがあるように思う。一つは聴衆の多寡など気にせずに、古式ゆかしく続けることを最大の意義として、延々と続けているもの。もう一つは時代の流れを機敏に取り入れて、絶えず変貌しつつ長く存続しているものである。

四国遍路の人気が衰えないのは、後者の例であって、それ相応に努力されているからであろう。かつて難所と言われたところも自動車道が整備されていて、乗用車、観光バスで参拝される方も多い。ロープウェイやケーブルカーを利用できるところもある。

因島四国八十八ケ所では、既に歩き遍路道は完全には残っていないのだから、現状に応じた対応が考えられてもよいのではなかろうか。

(写真・文 柏原林造)

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