ふるさとの史跡をたずねて【110】一本松(因島重井町一本松)

一本松(因島重井町一本松)

干拓地の周辺を注意して見ると、様々な干拓の名残りを見つけることができる。

因島村上氏は海賊行為だけでなく経済活動も行なっていたと言われるが、その経済活動の中に干拓や殖産振興が含まれていたのだろうか。そうでないとすると、一本松より南が干拓されたのも江戸時代になってからであろう。その干拓の堤防の上に築かれた土手が写真の松のあるところである。

松の木の下には小さな川があったが現在は暗渠になっている。その川は白滝山の南西の沢に発し、西下して途中で南に曲がり、ここを西進して重井川に注ぐ、という複雑な構造をしている。一本松より北がまだ海の時は、その川は西下してそのまま海に注ぎ、重井川も一本松のところで海に注いでいたはずである。それが二代長右衛門宗徹によって干拓が行われ、川口新開一町田ができた時、この川が南へ迂回し、それが注ぐ重井川も西に曲がって延長された。言うまでもなく新しい干拓地へ不要な水が流入しないようにするためである。

さて、一本松の下にあった小さな川は、松の根元に接して南側にあった。そして流れは松によって少し曲げられていた。この状況から、松と川のどちらが先かということを考えてみよう。一見、川が後のように見えるが、松にぶつかるように川を作るとは思われない。川があってその北側に松が植えられた。そして松が南へ傾きながら成長するにつれ、今のようなコンクリート製でない川を南へ押した、と私は考える。これ以前に、近くに別の松があったのならばともかく、写真の松を初代と数えるのなら、それは川口新開一町田ができてから後に植えられたものと推定するのが妥当である。

写真は昭和50年頃写したものです。

(写真・文 柏原林造)

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