北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【16】

人種差別と偏見

勝てば官軍負ければ賊軍…とか火事場泥棒ということわざがあるように戦後しばらくは各国とも秩序が乱れていたが、それも徐々に正常化されてきました。なにしろ一夜にして連合軍捕虜が戦勝国の兵士となり主従の立場が逆転。朝鮮半島の民族が戦勝国を謳歌するなど主客転倒の時代に日本人は耐えなければなりませんでした。


大東亜戦争の終結は、カナダに市民権を持つキミコの家族にとって戦勝を享受できる立場にあったはずですが理屈通りにはなりません。特に日系となれば敵対視されるのも当然なのかもしれません。戦後4年を経過した1949年4月には戦時下の規制も緩和され市民権が復活しました。50年(昭和25年)にはカツヨリとキミコは結婚25周年記念の銀婚式を迎えます。そして54年9月(昭和29年)にはキミコの50歳の誕生日に一家は約10年ぶりに懐かしいソルト・スプリング・アイランドに戻ってきました。

湾内に浮かぶ島々から抑留されて出ていった日系カナダ人は戦後10年経っていたのに誰も戻って来てはいませんでした。そして島民たちにとって一家は招かれざる帰郷だったようです。地元の人たちはもとより、商売をするにも、国家警察にもキミコが幼少の頃に洗礼を受けた英国国教協会からさえも冷たくあしらわれました。

一家はもともと自分たちが購入、開墾した土地を買い戻そうとしましたが無理なことが分かりました。だが、諦めるわけにはいきません。彼らはレインボーロードの荒れた土地を買うことができました。現在もその土地を所有していますが、いやがらせ、中傷、破損行為、盗み、さまざまな妨害に会いながらも彼らはひたすらその土地を開拓して馴らしていくしかありません。そして新たな農場をつくり、イチゴ類やアスパラガス、野菜など栽培しました。

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写真は1950年銀婚記念を迎えたころのムラカミ・カツヨリとキミコ。レインボーロードの自宅と農園。Salt Spring Island Archivesより

(庚午一生)

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