北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【15】

敗戦国日系2世の解放

日本が連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では9月2日を”降伏の日”とか”降伏記念日”敗戦記念日”と呼んでいました。戦勝国のイギリスやアメリカ合衆国をはじめ連合国側は対日戦勝記念日としてVJデー(Victory in Japan Day)と呼び、国際的には9月2日を終戦の日とする国が多いようです。しかし、日本では昭和天皇の玉音放送があった8月15日を戦没者を追悼し平和を祈念する日とする”終戦の日”と決めて平和集会などが開かれています。


ともあれ、日本の歴史上で外国と戦争をして初めての敗戦国となり、しかも無条件降伏という屈辱を受けながらGHQの下で新憲法がつくられ、教育制度を6・3・3に改革、1ドルは360円に固定されるなどアメリカの支配下に置かれました。

以来、1952年サンフランシスコ講和条約の発効により、国際法上、連合国(共産主義国除く)と日本の戦争状態が集結するには7年の歳月を要しています。だが、沖縄はこの日以降、1972年まで約20年間もアメリカ軍による占領下が続き、日本へ帰化したものの基地問題は暗礁に乗り上げています。

戦勝国のカナダ政府としては敗戦国の日系カナダ人に対する処遇について苦慮しながらも4年が経過しました。1949年(昭和24年)4月、キミコたち一家にとって戦時下の理不尽な規制がやっと解かれました。選挙権やカナダ国内の移住も全ての市民権が復活。日系カナダ人たちは解放されました。

1954年9月、キミコは50歳の誕生日を迎えました。一家は故郷であり思い出深いソルトスプリング島へ戻りました。戦後4年目のことですが、湾内に浮かぶ島々から収容所へ連れて行かれた日系カナダ人で最初に帰ってきた家族でした。だが、多くの島民たちにとっては歓迎したくない一家の帰郷だったようです。なぜなら彼らが原野を開墾して造った農場を戦争のどさくさにまぎれて利益を得た島民にとって後ろめたさもその一つでした。


戦後再び戻ってきたソルトスプリング島の雑草地を再生させたレインボーロードのムラカミ農園。

(庚午一生)

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